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バイマンスリーワーズBimonthly Words

人生二毛作

1994年09月

稲穂が重たそうに頭をもたげる季節となりました。大凶作に見舞われた昨年とは一転して、豊作が言われています。こうなればまた様々な問題も起こるようですが、何はともあれ豊作であることはうれしいものです。

日本の稲作は一期作が主で、ところによっては温暖な気候を利用し、二期作が行われ、早場の新米を味わうことができます。一方、稲作を終えたあとも違った作物を育てる二毛作も盛んです。いずれの農法も大自然から預かった農地を可能な限り活用するという農家の人々による知恵と素直な姿勢の結晶といえるでしょう。与えられた資源を無駄なく活用する姿勢は私たち経済人にとっても失ってはならないことなのです。

時間の二毛作

これまで日本の企業は熾烈な企業間競争を、ワンパターンで長時間労働という手法で乗り越えてきました。全世界の企業は1日24時間、年間365日という均等な条件のもとに置かれています。その条件下でいかにして長時間労働を実現し生産量を高めていくかが重要なテーマでした。もちろん高度な技術力が飛躍的な生産性向上を実現した最大の要因ですが、それらを支えたのは中小企業のひたむきな長時間労働にあったのです。これは時間という限られた資源を農法でいう二期作で活用したわけです。しかし、与えられた資源を単一のパターンでとことん費消するという姿勢は今後において大いに反省しなければなりません。

これからは「業務」の時間に「学習」の時間を加えた二毛作型時間管理が不可欠であると考えます。与えられた業務をできるまでやるという姿勢から、決められた時間内で最大限の力を発揮し、業務を完遂するというものに変革しなければなりません。そして、残された時間を社員一人ひとりの個性に沿った学習の時間に充てるのです。なぜなら、中小企業の現状はあまりにも学習環境が希薄だからです。

毎朝の朝礼で10分程度勉強するのも悪くはありません。ところが、この程度ではお茶をにごすだけで、その効果は血肉となって表れてきません。せめて1日かけた内容を月に1~2回は必要です。それもできるならトップ自らが社内講師となり、熱弁をふるっていただきたいものです。午前中は社長の講義、午後はその内容を受けての課題別演習、討論会、研究会などができれば相当充実したものになるでしょう。

事業の二毛作

事業においても同じことが考えられます。単一事業で永年突っ走ってきた企業のほとんどが今ここにきて停滞、衰退を余儀なくされております。単一路線で目一杯張りつめていた反動として、様々な経営資源のたるみが生じているのです。過剰な設備や不動産、そして人材。フル稼働の二期作による余剰現象です。

ここで事業の二毛作を検討しましょう。二作目は無理に利益を追うことを避けることです。これまで幾度か不況の壁にぶち当たり、それを契機に多角化を試みた企業は数多くありました。そこで、利益を求めすぎた企業は大抵失敗しています。これまでの事業の延長線でものを考えるためで、壁にぶち当たった際の教訓が活かされていません。二毛作の原点は大自然から拝借している土地を有効に使わせていただくという姿勢にあります。この姿勢が豊かな実りを約束するのです。具体的には、

 

  ・これまでの本業が停滞・衰退した真の原因は何なのか?

  ・現在も有効な経営資源は何か?

  ・現有人材の得意とする分野は何か?

 

についてまじめに考え、その答えに沿った事業を無理なく実行することです。

人生の二毛作

日本人は働きすぎだといわれます。私は、この表現は人々に誤解を生むのではないかと危惧している一人です。目的を持たないワンパターンの過剰労働は確かに良くありません。しかし、自分のできる仕事があること、そしてその仕事が途切れずにあること、こんなありがたいことはないのです。

子供の頃は塾と学校の勉強漬け、社会人になったら仕事漬け、そして定年を過ぎると何もすることがない。人生経験の豊富な人が定年を過ぎたら働きたくてもすることがないといういびつな人生は片寄った働きすぎだと思います。晩年はこれまでの経験を活かして後生のための指導者・教育者として働き、そして学び続けていただきたいものです。

中でも最悪の働きすぎは、晩年になってもトップとしての権限を離さず、権力の座に居座ってしまうことです。人材が流動化せず、出口をなくした社員は腐敗化し、再生がきかなくなります。経営の現場から逃げる経営者が多くいる中で、晩年まで働き続ける姿勢は立派です。職人さんなどがいつまでも働いておられる姿は若い者にも勇気を与えます。しかし、権限を持ったものがいつまでもその座に居座っているのはいただけません。一期作で実った見事な稲をもったいぶって刈り取らず、ついには稲も田も使えないものとしてしまう現象です。

なぜ、このような行動にでるのでしょうか。それは人生を一期作ととらえているからです。権限を譲ったあとの自分の次のステージがないのです。新たなステージでは存在価値のなくなる自分がこわくなり、一期作で実らせた土壌にしがみつくのです。

経営者で晩年の方も、これから晩年になる方も人生を二毛作で考えてみませんか。リーダーたるものはスポーツ選手と同じです。自分の掲げた大きな目標を達成し、技術力、体力が衰えてきたら後生に道を譲るのが名選手です。そして新たな人生の目標に向けて研鑽しましょう。これまでお世話になった関連企業の指導・教育をするのもいいでしょう。ボランティア活動や趣味に没頭するのもすばらしいことだと思います。権限を持った人が新たなステージに向かうことによって初めて権限のバトンタッチが行われるのです。そうすれば、次代の人々は自分をあてにしなくなり、しっかりした足どりで進んでいくのです。

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