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バイマンスリーワーズBimonthly Words

離見の見

1994年11月

組織において、社員一人ひとりがやりがいを持って活き活きと仕事をしている。そんな状態が実現すればどんなに素晴らしいことでしょう。社員はもちろん、企業の運営を預かるトップにとってもこれ以上の喜びはないでしょう。利益が上がることもうれしいことですが、利潤には安心のできるゴールはない訳で、やはり社員の活き活きとした姿がトップにとって良薬であることに間違いありません。

しかし、組織も生き物です。おかれている状態、個性の違い、組み合わせによって調和を失ってしまうことが多々あります。組織が安定し出すと各々のセクション対立や対人葛藤が生まれるのです。いわゆる確執といわれるものです。これらを放っておくわけにはいきません。トップにとっていちばん嫌な事象かもしれません。しかし、避けて通るわけにはいかないのです。

確執のいろいろ

まず、社員の個人間で不調和が起こることがあります。たとえば、小さな出来事をきっかけに、嫌がらせが横行することも稀ではありません。コミュニケーションの不足や単なる誤解から一対一で険悪なムードになってしまいます。戦争中、最前線で前を走っていく味方の背中を日頃の恨みを込めて撃ったという話もあるくらいですから、いつの時代でも男女を問わず、個人的な感情のもつれからくる諍いは絶えません。

次に、放っておけば必ず発生するといって間違いないのが、製造部門と営業部門の確執でしょう。業績が上向いていて多忙な時期は互いが文句を並べる程度ですが、業績が低迷し始めると目も当てられません。業績不振の原因について互いが擦り合いを始めるのです。これまで社外の顧客に向いて働いていたエネルギーが一挙に内側に働き出します。これは完全にエンジンの空ぶかし状態です。そして、そんなみにくい議論の中から真の原因を見つけ出し、調整を図らなければならないトップの仕事は心身共に疲れるものです。

新しい事業を起こしたときにも確執は起こります。新しい事業部門と既存部門との不協和音がそれです。トップの関心と情熱はどうしても新しい部門に注がれていきます。一方、既存部門にしてみれば「今を築いてきたのはオレ達だ。何を今さら…」といった感情が起こります。これが「負けてなるものか!」と競争心を刺激する方に働けば有効ですが、足の引っ張り合いになればたまったものではありません。

最も手のつけられないのが役員間の勢力争いです。これは派閥となり、インフォーマルな形で人的ネットワークが形成され、その異質なネットワーク同士の確執となって表れてきます。大企業などでよく見られますが、高収益な企業や、公的機関であるなら、そのこと事態が組織の命取りになることはありません。ところが中小企業において役員間の勢力争いを演じていると間違いなく致命傷となります。政治の世界を見ればわかるように、肝心の仕事に全く身が入らないのです。このことを知った社員は馬鹿馬鹿しくなり、やる気をなくしてしまいます。そして、仕事や会社経営に関心を示さなくなるのです。こうなれば何をいっても通じません。義務感で仕事をすることになってしまいます。組織はあってもそこに血は通わない抜け殻になるのです。

以上の他に、中小・零細企業ではトップ一人と社員全員との確執も起こります。世間では裸の王様症候群と呼ばれます。このような状態になることについて何とも思わない経営者はそれでいいでしょう。いずれ離散する社員について愛情を感じないのですから、事業観の違いとして問題は起こりません。

問題なのは、社員の力を借りたいけれど裸の王様になってしまうことです。これは社員に対する信頼感の欠如と、公私混同が主な原因となります。社員に対し信頼感を装うけれども、私的財産の保全に関心を払うのです。個人的な支出を組織の支出として処理する方法が慢性化します。税務調査で素通りでもすれば、それが経営ノウハウと錯覚して横行しだします。このような個人的な利益を優先させる行為について社員は敏感にキャッチします。トップを信じていた社員までもその心は離れていきます。もちろん動機づけなどできようはずがありません。中小企業において節税は大切な経営手法であります。しかし、トップの公私混同とは全く意味の違うものであることを肝に銘じなければなりません。正しく成長する企業トップの共通点は、公私の区別を明確にし、それが全社員に当たり前のこととして理解されていることです。裸の王様になった経営者は、自分が変わるか、脱税で国税局にこっぴどくやられるか、会社を倒産させるかのいずれかしか打開策はありません。うまくいかないのを社員のせいにしている訳ですから。

離見の見

いつの時代でも、どんな組織でも、不調和や確執は起こります。人間の集まりですから、これは自然なことです。起こることを嘆いていては始まりません。問題は、自分が今、どの位置にいるかを正確に認識することです。リーダーであるあなたが確執のうずに巻き込まれていては話になりません。また、裸の王様になりたくないと思っても、いつの間にかなってしまっているかもしれません。

世阿弥がその書『花鏡』の中で「離見の見」という言葉を残しています。「離見の見にて見る所は、即、見所同心の見なり」観客が舞台の上の自分の姿を見る目、見る心で、自分の演技を見よ、ということでしょうか。

企業を預かるリーダーにとって注目すべき言葉だと思います。今、自分はどういう立場にいるのか、我社はどの位置にいるのか、いつももう一人の自分で観察しておくことを忘れてはなりません。私などはこの客観的観察という目で顧客の企業を見つめることを職業としておりますが、こと自分のこととなると目標を見失い、間違いを冒してしまうことが多く、反省する毎日です。

くり返しますが、いざこざや確執を起こしているときではありません。ましてや自分がその当事者になってはいけません。時代は大きく変化しているのです。京都ではこれまで百貨店業界では仇同士であった大丸と高島屋が共通のショッピングカードを作って価格破壊という新たな敵と戦っています。世界を見れば共産主義が崩壊した結果、資本主義が台頭するかに思われましたが、その総本山であるアメリカの経済も破綻寸前というところまで来ていたのです。イデオロギーの問題ではなくなりました。これまで敵だと思っていた相手は悉く一緒になって危機を乗り越えなければならない同志となっているのです。

まさに呉越同舟の時代なのです。

社内で他部門や他の勢力と争ってエネルギーの浪費をしているときではありません。ましてや、トップが社員の心の中に入り込まず、離反した状態でこの経済状態を乗り切れるものでもありません。当事者から一歩抜けだし、新たな立場で状況を見つめ、新しい見解を用意することが求められています。そして、あなたの持つエネルギーは外部に向けなければなりません。社内に向けられるエネルギーは付加価値の獲得には向かっていないのです。付加価値の源泉はすべて社外にあるのです。

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