バイマンスリーワーズBimonthly Words
頭を雲の上に出す
新年あけましておめでとうございます。
昨年中は飽きることなく Bimonthly Wordsをご愛読いただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
これまでにも増して、激動が予想される1995年の幕が切って落とされました。価格破壊、流通革命、産業の空洞化といった激動の波が現実のものとなってやってくる年でもあります。私達はこの大きな環境変化のうねりを避けて通ることはできません。だから確固たる信念を持ってこの局面に立ち向かっていく、そんな年にしたいと思います。
霊峰人格論
昔から初夢に富士が出てくれば縁起がいいと言われています。冬空に凛とそびえ立つその姿には「不二」の異名を誇るように威厳が漂い、芸術的な美を私達の前に披露してくれるときもあれば、すねてその姿を雲の中に隠してしまうこともままあります。見る場所を変えればその姿は千変万化、妖艶ささえ感じます。
眼下の地上では、人間達が環境破壊を自ら引き起こし、苦しんでいる。政治や経済の場面ではそれぞれの組織が大きな変化の中で右往左往している。しかし富士山頂に立てば眼下に広がるのは雲海のみ、地上の出来事など何食わぬといった表情ですましているようにも見えます。
表紙の絵は富士の画家としても有名な横山大観の「正気放光」を模写したものですが、霊峰が雲をはらい、太平洋の波涛と相対しているその姿は、富士の持つ魅力を見事に表現した作品といえるでしょう。その背景は空ではなく、波になっており、これは日本海であるといわれています。また、富士をこよなく愛した大観は晩年の対談で、伊豆の達磨山から見た富士山が一番美しいと語っており、霊峰人格論なるものを打ち出しています。即ち、達磨山から眺めると宝永山という山が隠れ、すべてが富士という絶景が見られるそうです。人間も同じことで、誰にでも欠点はあるけれども、それをカバーする偉大さがなければならない。それが人格であるという見解です。
新中小企業論
雲の上から日本の新たな企業像を眺めてみましょう。バブル崩壊から久しくなった昨今、私達に残された教訓は何だったのでしょうか。最近話題になっているインド出身の経済学者ラビ・バドラ氏は、その著書で共産主義社会は実質的に崩壊したが近年中に資本主義も崩壊すると言っています。しかし、私はもう既に資本主義はその意味をなくしてしまっているように思います。日本人の多くが勤労による価値創出から遠ざかり、サラリーマン、主婦、学生までが財テクに走ったあの狂乱は何だったのか? あの現象は本来の資本主義経済の機能をなくした終焉の姿ではないでしょうか。本来、投資行為とは信頼する企業を対象に自分の持てる金融資産を預け、対象企業があげた利潤から受ける配当がその動機であったはずです。また株価の値上がり期待についても企業の業績向上に即した中・長期的なものであったはずなのです。
ところが、近年の投資行為はその動機において本来の姿を全くなくしています。それはギャンブルとしかいいようがありません。サラリーマンはなぜ自分が勤める会社に投資しなかったのでしょうか。そこに窓口がなかったからかも知れません。しかし自分の勤める会社より他の会社の方がギャンブルとしては魅力があったのでしょう。残念なことです。もっと残念なことは、経営者が自ら株の投資で失敗したケースです。なぜ実体がよくわからないのに他の企業に投資をしてしまったのか。なぜ自社への投資をしなかったのか。それほど自分が経営する会社を信頼できなかったのでしょうか。
新しい資本主義経済では投資家が本当に自分が信頼する企業に投資する状態ができることを願っています。そのために経営者は中小企業であっても、広く株主を募集する態度が必要です。未公開の企業では株の譲渡制限がありますが、この制度は未公開企業の特権なのです。そして柔軟な取締役会運営も求められます。
大企業が疲弊化し、これからは中堅・中小企業がリードする時代であるとあらゆる識者が言っています。私もその意見に全く同感であります。しかし資本政策で革新が進まない中小企業はやはり頭打ちが続くと思います。未公開の中小企業が早くそのことに気づき、小規模でも自力で資金調達ができるシステムを構築しなけれはなりません。日本のこれまでの金融システムが崩壊しつつある現在、金融機関に頼りすぎる運営は避けるべきです。長期にわたる設備資金などは従来のように金融機関とのお付き合いを重視すべきでしょうが、短期的な運転資金については自力で調達できる状態を実現しなければなりません。その調達先として最も好ましいのは社員だと思います。多くの中小企業経営者は社員に投資してもらう行為について、理屈ではその意味がわかっていても、様々な葛藤からその実現には至っていません。「全員が経営者意識を持て!」と経営者は言います。そのためには社員一人ひとりがオーナーになってもらうことから始めることです。自分が勤める企業に投資することが当たり前のようになれば、皆がこぞって続いてきます。たとえそれが少額であっても、連々と続ければ相当なものになってきます。ならば経営者的意識は確実に高まります。経営能力が高まるとは言い切れませんが、原価意識や利益意識は自然に付いてくるものです。経費を節約したり、回収を厳しくしていくのは我が家のことのように考えるようになってきます。
新しい資本主義経済下での中小企業は社員を中心に地域社会や信頼できる取引先に株主となってもらい、小規模ながらも自立型の資本政策が重要になります。これまでの中小企業の大半は経営者一族だけがオーナーであるような企業運営であり、リッチになりつつある社員や地域社会との溝は深まる一方です。所有と経営とが一体化するような全社員経営を目指すことが求められていきます。
「世界は一家、人類は皆兄弟」とまではいかなくても、「会社は一家、社員は皆兄弟」ぐらいの意識は持ちたいものです。
決算を間近に控えた社長様。新しい中小企業のあり方を求めて、頭を雲の上に出し、もう一段高いところから自社を見つめ直してはいかがでしょうか。