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バイマンスリーワーズBimonthly Words

肩車の上で指揮はとれない

1998年09月

今、沸き立つ英雄待望論

今世紀に入って今ほど英雄の登場が待望されている時はないでしょう。

混迷を続ける日本経済の立て直しで橋本政権に期待がかかっていましたが、舵取りの方向を完全に間違ってしまいました。昨年の特別減税廃止と消費税率アップという暴挙と呼べる政策の結果、一挙に国民の消費意欲が減退したのです。ことし4~6月期のGDP(国内総生産)は年率換算で3.3%も減少し、昨年の10月以降、3期連続でマイナス成長という最悪の経済状態に陥ってしまったのです。

橋本政権は経済の実態をあまりにも近視眼的に捉えていたようです。バブル崩壊の痛手が癒えていない民間企業や消費の実態は、増税が出来るような状態ではありませんでした。だのに、現場を知らない官僚が集めたデーターをもとに机上で意思決定したのでしょう。官僚達の肩車の上に乗っかって、現場を無視した上滑りな意思決定だといわざるを得ません。今年に入ってあわてて6兆円もの特別減税を2回に分けて実施したものの、時はすでに遅し。より悪化した病状を回復させるような効果は表れません。減税は景気回復のための「必要条件」であって「十分条件」にはなり得ないことが証明されたわけです。結果、橋本龍太郎という政治家は英雄になれませんでした。

橋本政権のツケを背負って就任した小渕さん、はたしてこの経済危機を克服して英雄になれるのでしょうか。多くを望みませんが、失策だけは避けていただきたいものです。

 

今、巷で政党の枠組みを超えてもっとも日本の首相になって欲しい人物は誰か?と問われると、弁護士で住宅金融債権管理機構の社長でもある中坊公平氏の名前をあげる人が少なくありません。本質を見失わない判断力、身の危険にさらされながらも目標に向かって突き進む勇気ある行動力、そして何といっても弱きを助け、強きをくじくその正義感が英雄のように評価されているのでしょう。

中坊氏は法の番人でありながら「法律とは社会を合理的に動かすための道具である」と位置づけています。法律は手段であって法律がすべてに優先されることがあってはならないし、ましてや法律によって勝ったとか負けたとかを争うものではないというのです。

平成の水戸黄門

中坊氏は今年7月に、「住友銀行は問題ある貸付先と知りながら、住専に融資を紹介した。人や事業に金を貸すのが金融であって物に貸すものではない。法律に抵触しないからといって銀行は何をやってもいいのか!」と喝破し、住友銀行に対し48億円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。“裁判で負けたならばお支払いしましょう”という住友銀行経営陣の姿勢を問いただし、金融業界全体のモラルを高めることが真の目的だといいます。法律は最低の道徳であってそれ以上に経営者のモラルが大切であるという信条を行動面で貫いた訳です。

本質を突きながら、権力を怖れない見事な振る舞いに私は胸につかえていたものが一挙に降りた思いでした。中坊氏は、まさに平成の水戸黄門といえるでしょう。

 

訴訟王国ともいわれるアメリカでは日本人には考えられないような事態が頻繁に起こっています。

ドライブスルーで注文したお客が、受け取る際にこぼしたコーヒーで火傷をしたための損害賠償がなんと5億円にもなり、弁護士に支払われるその成功報酬は日本のそれとはくらべものにならない巨額なものだそうです。交通事故の現場を見つけては、苦しんでいるけが人のポケットに名刺を入れていくハイエナのような弁護士もいると言われ、弁護士の金儲けのために訴訟があるといっても過言ではありません。また一般市民もそんな弁護士に影響されて、金儲けを目的に訴訟を起こすような考え方が広まってきているようです。これはアメリカだけの問題でなく、人間が生きていく上で精神的な支柱となる正義とか倫理といったことが、この社会全体から消え去らないか心配です。

中坊弁護士だったらこのような事態に対してどうするのでしょうか。

実力のない人ほど規則で人を縛りたがる

企業における法律として就業規則やさまざまな制度があります。ところがその使い方を間違うと、思いもしなかった結果をもたらすことがあるのです。

たとえば、あなたが遅刻に対して厳しい規則を設けたとします。そして、ある朝の通勤途上に交通渋滞で遅刻になることが明らかになった社員がいたとしましょう。彼は、「遅刻扱いにされるなら、有給休暇を使う方がいい」と判断して、電話一本で休んでしまうかも知れません。多少の遅刻であっても仕事をしてもらいたいとあなたが望んでも、制度がある以上は、社員が不合理な判断をしてもおかしくないのです。規則や制度が絶対的なものとなり、会社の決めた規則に違反さえしていなかったら何をやってもいい、有給休暇は社員として当然の権利だから消化しなければ損だといった、自己中心的な価値観を確立していきます。権利があるからといって自己中心的な行動をとれば、誰かがいやな思いをし、何らかの迷惑をかけているものです。こんなことを繰り返していると組織に対する不満を抱き、権利ばかりを主張し、責任や義務が後から付いてくるというモラルの低い人間に後退していきます。

もちろん、有給休暇などは法的な権利がありますからうまく活用すればいいのです。しかし、そこには目的を持って計画的に消化し、仕事をしなくても給料がもらえることの有難さを感じる道徳心を忘れてはなりません。規則や制度は最低の道徳であり、それを盾にしたり、その上であぐらをかくようなことがあってはならないのです。

 

一方、経営者が規則や制度で社員を牛耳ろうとする姿勢もよくありません。

内村鑑三はその著書「代表的日本人」の上杉鷹山を紹介するくだりで、徳と制度の関係を次のように述べています。

「徳に代わる制度はないと、固く信じなくてはなりません。いや、徳がありさえすれば、制度は助けになるどころか、むしろ邪魔であります。<中略> 本当の忠義というものは、君主と家臣とが、互いに直接顔を合わせているところに、初めて成り立つものです。その間に『制度』を入れたとしましょう。君主はただの治者にすぎず、家臣はただの人民にすぎません。もはや忠義はありません。憲法に定める権利を求める争いが生じ、争いを解決するために文書に頼ろうとします。昔のように心に頼ろうとはしません。」

ここでも中坊氏の「法律は最低の道徳」に等しく、制度は最低限のモラルであり、争いのきっかけにもなると述べています。制度を敷くことより自分自身の徳を磨くことの重要性を説いています。

自分の思うようにならないからといって、規則を厳しくしたり、文書による管理を強化しようとする経営者であっては困ります。それは結局、自分の実力の無さを露呈しているようなもので、いずれ自分の身を縛ることになるでしょう。

英雄よりも優秀な指揮官が必要

アメリカ大リーグのマグワイア選手が37年ぶりにホームラン記録を塗り替えましたが、62本の新記録を打ち立てたその日の各新聞はトップで大々的に報道し、アメリカのことながら日本中が沸き返りました。じつはこの日本人の熱狂ぶりにも英雄登場を強く待ち望んでいる心理が伺えるのです。

胸がスカッとするような、自分は出来ないけれどもすごいことをやってくれる人物、少しでもそんな可能性を秘めているなら、その人物に付いていきたいといった心境です。英雄待望論は、大不況や戦乱など、社会が混乱すると沸き上がってくるもので、それは過去の歴史のなかにも数多く見られます。ドイツのヒトラー、アメリカのルーズベルトなどは大不況を克服し、一般大衆の不安な心をつかむことで英雄になっていきました。

それでは平成大不況の今、私達はいったい誰に期待を寄せればいいのでしょうか。過去の歴史のような政治家でしょうか。否、やはり経済を立て直す主役は、経営者・管理者を中心とした、私達企業人であるはずです。政治に頼るわけにはいきません。

英雄とはその登場を待つものではなくて、志のある自らが目指すものです。チルチル・ミチルの青い鳥のようにどこまでいっても英雄は見つかりません。英雄は自分の心の中にいるのです。

そして、実のところは今の中小企業の経営に英雄は要らないのです。英雄よりも現場をよく知った優れた指揮官が必要なのです。中坊氏は1,100名を抱える債権回収会社の社長でありながら、自分の足で現場に出かけ、現場から直接に指示を下します。経営者や管理者が部下の肩車の上に乗っていては的確な指揮は執れないと言い切ります。中小企業の指揮を執るには、部下と同じ目の高さから見て、直にお客様の声を聴き、商品改良や品質管理について直接的な現場指導をすべきです。

 

あなたの会社を立て直すのは政治家でもないし、銀行でもありません。

志を持ったあなた自身なのです。いつになったら景気がよくなるのか?と環境をあてにしても始まりません。外に期待するのでなく自分の可能性に期待しましょう。悲鳴をあげてしまったらおしまいです。

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