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バイマンスリーワーズBimonthly Words

浪費なき成長

2000年09月

日銀がゼロ金利政策を解除、自動車の生産台数が上昇に転じ、IT関連産業が低迷する経済を引っ張る…。何となく日本経済が不況から脱したようなムードになっています。

果たしてこれは本当なのか、私達はこの情報を当てにした経営をしてもいいのでしょうか?

確かにゼネコンを除く多くの大手企業は、バブル崩壊後のリストラを一通り終え、積極策を打つようになってきました。それが各種の経済指標に表れているのは事実。しかし、大手企業のリストラの残骸である失業者は相変わらずの高水準。倒産・廃業はこれから建設関連を中心に増加し、失業率が好転する材料は見当たりません。仮に、景気が上向いたとしても、それは一時的な現象であって多くの企業は新しい経営環境に向けて体制を整えておらず、雇用を吸収できるまでには至っておりません。

私達は、景気が上昇ムードになることと、経済が良くなって国民が幸せになることとは分けて考える必要があります。「景気回復」というとらえ方では、現象面で上昇ムードになっても根本が改善されていないためにまた元に戻ってしまうのです。多少時間をかけてでも経済の根本理念と、仕組みそのものを改革する「経済再建」が必要なのです。

そこで経済再建が成功するか否かの瀬戸際にいる日本という国家の中で、私達、中小企業経営者はどのような経営方針で臨めばいいのでしょうか。

日本経済の基盤を作ったリーダーは質素、倹約を旨としていた

今から約一世紀前に内村鑑三が著した「代表的日本人」の一人、上杉鷹山がバブル経済崩壊後に静かなブームとなり、経済建て直しを担うリーダーの精神的支柱となりました。

最貧藩であった米沢藩に17歳で新しい藩主として養子入りした鷹山は、藩の改革のために大倹約令を発し、政治や経済面で大胆な改革を行いました。大倹約令を出したその日から、自ら一汁一菜を実行し、着るものは絹をまとわず木綿で通した鷹山は、70年間の人生の幕を閉じるまでそれを続けたといいます。勤勉で節制家だった鷹山の人生は、いたって健康に恵まれたといいます。

鷹山が実行した倹約はケチではありません。

「施して浪費するなかれ」これが鷹山のモットーでした。ですから、質素・倹約を旨としながらも、農業育成、治水事業、米沢織を始めとするさまざまな殖産興業などの産業育成にも力を注ぐ事業家でもあったのです。その方針は、1)領内に荒地を残さないこと、2)民のなかに怠け者を許さないことでした。今の企業経営で言うなら、経営資源をフルに活用し、売上を上げるための将来投資は積極的に使う。そして、人件費をはじめ無駄な経費はトコトン切り詰める、という方法です。

近代に入って「財界の荒法師」と呼ばれ、傾きかけた石川島播磨重工業や東芝を次々に再建、経団連の会長まで務めた故・土光敏夫氏の私生活は、その華麗な経歴とは裏腹にあまりにもつつましいものでした。夕食のおかずがメザシ一匹に梅干し、大根の葉っぱ。歯ブラシやコップは50年も使っている。裏の畑で農作業にかぶる帽子は拾ってきたもので、ズボンのベルトは古くなったネクタイでした。来信の封筒は裏返して発信用に使うという徹底ぶりです。

ならば守銭奴か…と勘ぐりますが、決してそうではなく、経団連名誉会長時代の年収が5100万円で、そこから母親が開校した私立橘学園に3500万円を寄付。税金を除いた後には、年間100万円程度しか手元に残らなかったのです。つまり経団連の名誉会長が月8万円程度の生活費で過ごしていたわけです。私利私欲を一切拒否する思想がこのような私生活にさせたのでしょうか。

貧しさは人間を強くし、人格を作る

上杉鷹山や土光敏夫からは、公正無私を貫く偉人のようなリーダー像を感じる反面、ストイック(禁欲主義者)な一面が漂っているために反感を覚える人が少なくありません。そこで倹約や質素の効用を誤解されないためにも、吉本興業の基礎を築いた「吉本せい」の知恵をご紹介しましょう。

もともと利発で勝気な才覚の持ち主だったせいは、夫、泰三の道楽であった寄席を始め、物まね、曲芸、剣舞など当時では低俗視された演芸の量販化に成功しました。せいは寄席の買収、営業、芸人や従業員の管理、経理などを一手に受け持ち、一人で何役もの働きをしたのです。

大正元年に始めた一号店は最下級の寄席館であったために名のある落語家は出演してくれません。そこで木戸銭(入場料)は五銭と、普通の三分の一にして一般大衆の支持を得たのです。

せいは木戸銭の安い分を補うために知恵を絞りました。館内では、せんべい、焼きイカなど、のどの渇くものを売って飲食売上を伸ばしていく。客が残したミカンの皮を集めては漢方薬業者に売る。お客から「差し入れ」として部屋の芸人に渡ったせんべいはもう一度、館内の売店に並べてまた売上にする、というやり方は今も吉本の落語のネタになっているくらいです。

創業わずか十年余りで大阪の寄席・演芸界を制覇し、直営・特約店は計28館にまで拡大させたせいの知恵の裏側には、ギリギリのところまで売上の可能性を追求する経営姿勢にあったのです。

これら三人をはじめ日本経済の礎を築いてきたリーダーに共通するのは、経済的に豊かな身分でありながら、あえて貧しさを感じるような環境を作り出し、自らを律してきたことです。そして、ハングリー精神を奮い立たせ、事業を引っ張るエネルギーの源としたのでしょう。

貧しさは辛いことです。しかし、それは精神的に人間を強くし、本当の人格を作ってくれます。かつて、日本でも英雄や偉人は例外なく貧しさの中で育ってきたのです。

貧しさとは彼らにとって教師であり、学校そのものだったのです。

物的な豊かさから、心の豊かさへ

今春に発刊された内橋克人氏の著「浪費なき成長」は経済再建に取り組まなければならない私達に、新たな指針を与えてくれています。

内橋氏はこれまでの日本は結局、アメリカが押し進めた大量生産、大量消費を経済の指針とした上で、短いサイクルで商品を陳腐化させ、どんどん捨てさせるマーケティングがあった。これは「浪費型経済構造」であり、買い替え需要がなければ企業の存続が不可能なシステムであったといいます。

浪費型経済では経済全体が成長しても、生活者が豊かになるわけではない。たとえば自動車産業は頻繁にモデルチェンジを繰り返すが、これは買い替えと廃棄を同時に進めているだけで、車が資産として増えない。仮に2年ごとに乗り換えて20年で10台の車を買ったとしたら、20年後にはすでに9台が廃棄され、数字では経済成長に貢献していても個人の資産は1台しか残らない。一方、20年間乗れる車を持ち続けながら、もう1台買えば資産は2倍になるわけでどちらが生活者として豊かであるかは明白である。また旧西ドイツの住宅政策が好例で「国民に文化的な住まいを提供するのは国の義務である」という国家理念のもとに、国は100年の無利息融資をする。そのため住宅には100年の耐久性が要求される。日本のように10年で評価額がゼロになるような住宅ではいくら働いても資産は増えず、豊かにならないのです。

「浪費なき経済成長」とは浪費型経済構造と反対の概念です。

それは、精神的・物質的な贅沢を否定したり、質素・倹約を強要するものではなく、節約と成長を両立させ、国家が抱える課題解決に向けた「理念型経済」の仕組みであるといえます。欧米人の多くは別荘を持っているがこれは浪費ではない。贅沢なようだが、ほどほどの贅沢が国民の生活基盤を豊かにするというのが内橋氏の見解です。

内橋氏の提言を、単にマクロ経済や国家レベルのことであると一般論にとどめてしまうと、「理念型経済」は実現しません。私達企業経営者や個人が己の責任範囲において社会参画していくことが必要なのです。

つまり、今回の不況から得た教訓を心に焼き付け、今後の企業経営に役立てる必要があるのです。

これからも社内用のコピーは使い古しの用紙を使い、デパートの包装紙や紐、送ってきた封筒はとっておいて再利用しましょう。車や設備は愛情込めて手入れし末永く使いましょう。そして、そんな努力の結果蓄積された利益は企業理念の実現に向けて生きた金としてドンと使えばいいのです。コピーの無駄遣いが原因で会社がつぶれる訳ではありません。しかし、コピー費用を軽視するようなゆるんだ考えがトップを始め、社内に蔓延すれば確実に会社は崩壊に向かうのです。

事業であれ、勉学であれ、何事でも本気で取り組めば必ず成就するものです。

本気なのか、どうかを判定する基準は「続けているか、どうか」にあります。上杉鷹山は一汁一菜を、土光俊夫はメザシを生涯貫き、吉本せいの販売姿勢は今も脈々と吉本興業の精神の中に貫かれています。

すべて本気だったのです。

長期不況のおかげで好きなゴルフも控え、本気になって経営に取り組んだのに、少しばかりの利益が出るようになったからといって浪費型の企業運営に戻るのは本気ではなかったのです。

リストラが済んでトップの年収を元の水準に戻すことは大いに結構なことですが、生活スタイルまでバブル期のようなものに戻してはなりません。鷹山や土光氏のような生活スタイルは現実的に出来ないでしょう。ならば、無駄なものは買わない、使わない、ゴルフや飲食の回数を減らすなど「浪費なき会社の成長」のためにトップ自らその範を示していただきたいものです。

鷹山は子孫に対し、大きな使命を忘れて自分の利欲に溺れることなく、貧しい人々への思いやりを忘れないようにと様々な言葉を残しています。孫娘に贈った歌が心に響きます。

春を得て花すり衣重ぬとも 我ふる里の寒さ忘るな

(春が訪れ、花の衣装を身にまとう時節になっても、山里の父の家で過ごした冬を忘れるなよ)

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