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バイマンスリーワーズBimonthly Words

そうだ 京都、行こう。

2000年11月

21世紀まであと一ヶ月になりました。私達はこれまで生きてきた20世紀をどのように総括し、どのような考え方で新しい世紀に向かえばいいのでしょうか。こんな時こそ、百年単位でものを考えるいい機会です。

振り返ると、20世紀とはアメリカが強力な軍事力をバックに世界の覇権を握るための世紀であったと言えるでしょう。このことが世界の国々の生活や文化、経済に大きな影響を与えました。日本では、そのアメリカによって世界唯一の被爆国家となり、完膚なきまでに叩きのめされる敗戦ダメージを受けたことが大きく着目される点です。にもかかわらず、日本の伝統文化を失うことなく世界をリードする経済国家にまで這い上がった日本人の底力は驚異に近いものでした。とくに独自の経営理念を軸にリーダーシップを発揮した当時の経営者の活躍がなければ日本の経済発展はなかったはずです。

ソニーの創業者、井深 大氏 は「不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、らに規模の大を追わず」という理念を掲げて成長を続けました。オムロンの立石一真氏は「最も人を幸福にする人が最も幸福である」が信条でした。松下幸之助氏は名言を数多く残されましたが「松下電器はモノをつくる会社ではない。人をつくる会社である。」はよく知られています。

マッカーサー率いるGHQが乗り込んできた直後、物的な侵略はありましたが、日本人の持つ独自の精神や文化はその後も脈々と受け継がれました。これは当時の指導者が理念や精神を明確に打ち出し、実践を通じて日本の精神文化を守ったことが大きいでしょう。

残念ながら日本が正常な成長を遂げたのは1985年までのことで、それ以降は成長でなく膨張し、そして、崩壊、混迷で今に至っています。戦後から85年までに日本経済を建て直した松下幸之助氏や井深大氏、土光俊夫氏といったリーダー達の根本哲学とはいったい何だったのでしょう。私達はこの哲学を21世紀への架け橋にすべきだと思うのです。

それは当時のリーダー達の生まれや育ちの中には仏教というものが浸透しており、その仏法思想から生まれた知恵や行動が経営に活かされていったからなのです。今回はこの仏法思想をできるかぎり抹香臭くなく、哲学的に考えてみたいと思います。

「空」  この世のすべてのものは実体がない

たとえば、自動車とは金属製で人や物を運ぶのに便利なものであり、乗る人にとってはエンジョイできるものですが、時には人の命を奪う凶器にも変わります。自動車の実体は何なのでしょう? 会社では怖い存在の社長さんも子供の前ではいいお父さん、妻の前では頭が上がらない弱い男、こんなものです。ではこの社長さんの実体はないのでしょうか。

そうです。このように大乗仏教の根本真理は、この世のすべてのものには固定された実体がないと捉えることです。これを「空」と呼んでいます。ですから企業も実体がないと捉えます。「何を言うか、ビルも工場もちゃんとあるではないか!」と思われるでしょう。これは「空」の反対概念である「」の捉え方です。確かに物体としての企業はありますが、あくまで現象化されているものであって真なることを表わしていません。「有」の考え方をすると、ビルや工場が借金の抵当で取られてしまうと会社はなくなる、もうだめだという考えに陥ります。「空」の思考をすれば、もともと実体がないのが会社だからビルや工場がなくなっても怖くない。“所詮この世は仮の宿”といわれるようにたまたま今の事業をやっているだけで、企業の実体はもともとないものである、と考えるのです。個人の財産も、増えても減ってもそのこと自体に「とらわれない」。もともと実体がないから何にも「とらわれない」という心境が大切なのです。

この「空」という法則はこの世に存在する全てのものに宿っているというのが仏法の考え方で、あらゆることに「とらわれない心」が経営の意思決定や行動には重要になります。

「空」は、この何事にもとらわれない「空」と後述する「縁起」そして「無常」という三つに分かれます。これら三つをあわせて全体としての「空」となります。

「縁起」  相対的な関わり合いによって存在する

たとえば「お米」の生育は様々な原因や条件がバランスよくかみ合うことで成り立っていることが分かります。一粒の籾は栄養分のある土、太陽の光、恵みの雨、そして人間の手などが寄り集まってはじめて実りとなります。どれか一つが欠けてもいいお米はできません。

企業も人もありとあらゆることは様々な力のかかわり合いによって成し得るものであるというこの考え方が二つ目の教えで「縁起」といいます。感謝の心というのは他者からの力を敏感に感じ、お互いに分かち合うという共存共栄の精神があるからこそ起こるものなのです。逆に物事が縁起で成り立っているという考え方が弱くなると「驕り」の心が生じ、「俺がやったんだ」「だからこれは俺の会社だ」という思考・行動になりバランスを崩してしまいます。

どんな企業でも実力以上の業績が上がっていた時には、「俺が売ってやる」とお客様を軽視するような心持ちが頭をもたげたことがあったかもしれません。仕入先や社員をさげすんだ見方をしたことはなかったでしょうか。どうしようもない取引先や社員がいて、困ることも少なくないと思います。しかし、これも「縁起」の力が働いてあなたや会社に何らかの力を与えているのです。ですから自然に対応していきます。

「持ちつ、持たれつ」の関係でバランスをとりながら存在しようというのが「縁起」の考え方と言ってもいいでしょう。「人は石垣、人は城」といった日本的組織論の考え方や、戦略の三本柱、終身雇用の考え方なども縁起の発想からきていると思われます。

縁起は相対的かかわり合いで成り立ちますから「偏らない」ことが大切です。自分の意見に同調する人間だけ集めようとしたり、一部の人間にだけ評価を高くしたりするとバランスを崩します。

松下幸之助をはじめとする戦後日本の復興を成し遂げたリーダーが、社員を大切にし、取引先との関係を契約ではなく、ご縁を大切にしたのは縁起の考え方によるところが大きいのです。

ですから最大の敵は自らの驕りであることに気付き、その敵を常に監視するために、おかげさま、つまり「縁起」という考え方を大切にしたのです。

「無常」  この世のすべてのものは常に移りゆく

盛るものは必ず衰退し、強者はいつか弱者となって敗れる。この世のあらゆるものは生滅し、変化して移りゆくものであるというのが三番目の教えです。この考え方が備わっていた企業のリーダーは焼け野原の敗戦国日本を目の当たりにしても決して悲観しませんでした。成長の過程においては数え切れないほどの失敗や挫折があったことでしょう。しかし、済んだことにこだわらず、将来に向かって今を懸命に生きるという考えを貫きました。そうです、済んだことには「こだわらない」という心境が無常の言わんとするところではないかと思います。

毎年、経済評論家や各シンクタンクが株価や為替変動の予想を発表しますが、きちんと当たったためしがありません。それは経済が人為的に動いているために予測などできるものではないからです。確かなことは将来とは不透明であってどうなるかわからないということです。将来についてもこのような考え方をするのが「無常」だと思います。だからこそどのような経営環境になっても手が打てる状態にしておくことが仏法思想に基づく経営です。戦後を支えた経営者達はこのように世の中が変わるだろう、と予想を立てて経営をしてきたとは思えません。変化することがあたり前だから、いつでも変われるような臨機応変な経営をしてきたのだと思います。

 

私自身はごく一般的な日本人で、どちらかというと無作法な仏教徒ですので、宗教をお勧めできるような考えも立場もありません。しかし、京都に住んでいる関係で社寺の門をくぐり、仏像や僧にお会いして仏教という空気を吸う機会は他府県の方よりも多いでしょう。その空気を吸うたびに心が洗われ、落ち着いた心境になるのは事実で、仏法に秘められた不思議な力を感じています。幸之助氏は京都の社寺を愛し、茶道を通じて自分の経営のあり方を見つめ直し、苦難を乗り越えてこられたといいます。

JR東海が首都圏で「そうだ 京都、行こう。」というキャンペーンを展開していますが、これを商業的に読むと、京都へ観光に行きましょう、にすぎません。でもこのキャッチフレーズを目にした人は1200年という歴史に培われた仏教文化の中に自分の肉体と精神を預け、つまらないことにとらわれず、こだわらず、偏りのない本来の自分を取り戻したいという期待感があるのではないでしょうか。

もちろん他府県の読者の皆様には京都に来て観光を楽しみ、当社にもぜひ立ち寄っていただきたいと思います。しかしそんな意味よりも、多忙で精神的なバランスを崩しやすい立場にいつも置かれているあなたが、松下幸之助氏がやったように京都の文化を支えている仏教的な世界に肉体と精神を浸してみることで、本当の自分を見つめ直されてはいかがでしょうか。とらわれていないか、こだわっていないか、偏りがないか、と。

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