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株式会社新経営サービス

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バイマンスリーワーズBimonthly Words

大胆なる小心者

2006年11月

伊豆の島に住む書道の先生が、知り合いの漁師から字を書いて欲しいと頼まれました。
一般の釣り客を乗せる遊漁船を営んでいるので、その文字を操縦室に飾っておくのだといいます。
「何と書きましょうか?」と聞くと、
「”今、私は人さまの命を預かっている”」とのこと。
先生は思わず、「えらい」と叫んだそうです。

遊漁船の安全基準は普通の漁船より厳しくて、救命設備は客船並み、海上保安庁の気象情報を受ける
無線設備なども整備されています。しかし、どれほどのハイテク機器を備えてもそれは海の上のこと。
操縦者のふとした気の緩みが危険をもたらすことになります。釣り客に満足してもらうことが遊漁船を
営む漁師の努めですが、安全を第一とする気構え以上に重要なものはありません。

企業の使命は、顧客にとって価値のある商品やサービスを提供することです。 ところが、その背後には
顧客への危害、場合によっては人命にかかわる大事故の可能性が潜んでいることを忘れてはなりません。

美味しさを提供する食品業界には、食中毒や添加物が消費者に危害を与える可能性があります。
快適な住まいを提供する建築業でも、設計ミスや手抜き工事で人命を奪うことがあるでしょう。
耐震強度偽装事件などはその典型例です。

なによりも便利さと快適さを提供する自動車メーカーは、いつも人命の危険と背中合わせにあります。
そんな自動車メーカーで大型リコールが続いています。トヨタが6車種で18万台余り、ホンダが2車種で
23万台、その他のメーカーも次々とリコールを届けています。

松下電器は死亡事故の原因となった石油暖房機を240億円もの経費をかけて回収・点検を行い、現在も
その活動を続けています。ソニーは相次ぐ発火事故で全世界を対象にパソコン用電池の自主回収を決め、
そのための費用は500億円以上と見込まれています。

日本の製造業にいったい何が起こっているのでしょうか?

"ISOを取りました"は誤解をまねく

日本の製造業はTQC(Total Quality Control:全社的品質管理)などの手法を導入して
不良品を出さない世界最高の品質を実現しました。近年はISO(国際標準化機構)や
HACCP(ハサップ:総合衛生管理製造過程)といった認証を取得する中小企業も増えています。
このような活動を通じて品質レベルがより向上していくことは大いに価値あることです。

しかし、認証が必ずしも消費者の安全を保障し、企業のブランドを高めてくれるわけではありません。
たとえば、認証を取得した企業の社員が「ISOを取りました」と言いますが、この表現は誤解を
生む可能性があります。

それは消費者ではなく、活動主体である社員が誤解するのです。
ISOやHACCPとは、その仕組みの上で一定の基準を満たした製品供給を実践する行為であって、
認証を取ることが目的ではありません。 ところが認証をとるだけでも大変で、かつてHACCPを
取得していた雪印乳業が黄色ブドウ球菌による食中毒事件を起こし、「HACCPも地に堕ちた」と
批判されました。そこは社員も人間なのです。認証がゴールのように錯覚し、逆に気持ちが緩んで
しまったのでしょうか。

不良品対策として、PL保険、リコール保険などもありますが、どうでしょうか。
これも短期的なリスクヘッジ効果はありますが、事後対策にすぎません。保険は経営者の不安を解消する
急場しのぎにはなりますが、製造現場の根本解決にはならないのです。 取引先の倒産に備えて
ファクタリングや取引信用保険といった金融商品もありますが、これも同じこと。債権回収の備えになる
からといって、取引先の経営状態に無関心であってはなりません。

近年は、精度の高いカメラやセンサーが、ミスや不良品を発見してくれますし、その結果をコンピューター
が分析して情報伝達までやってくれます。 医療現場では患者データ、ドクターやスタッフの配置、機器の
利用状況など、高度な管理システムが整い、警察の犯罪捜査にもDNA鑑定、指紋検出、GPS測定など
最先端の科学が活用されています。

ところが皮肉なことに、医療技術は大幅に向上しているのに患者は一向に減らないのです。それに加えて
単純ミスによる医療事故も増加の一途です。また、凶悪犯罪も年々増える一方で、重要犯罪の検挙率は
低迷を続けています。

認証も保険も高度な科学技術も根本解決にならないのなら、どうすればいいのでしょうか?

プロは最悪のことを想定して裏方に回る

私はこれまで多くの経営者とお付き合いをしてきましたが、きちんと利益をあげる優秀な経営者には、
いくつかの共通点があることが分かってきました。
その中の一つに意外なものがあります。それは”小心者”です。
大雑把なようで、あらゆる方面に対して、たとえばお客様のちょっとした好みの変化や、社員の
心の動きなど、細やかなことに反応する経営者が、永きに亘っていい成績を残しているのです。

“小心者”と聞くと一般的には気の小さい臆病な人、という意味で使われていますが本来の意味は別に
あります。中国には ~ 胆大(たんだい)心小(しんしょう) ~(旧唐書)ということわざがあります。
人は度胸を大きく持つ一方で、細かなことにも注意を払うべきであるとの意味で、小心者はここから
きた言葉です。

そこで、なぜ小心な経営者が優秀で成功しやすいのか、考えてみましょう。 もちろん細かなところに
心が行き届きますから、収入のモレやロスが極端に少なくなる一方で、無駄な経費を使いませんから
利益がでます。しかし、この程度のことは当たり前のことです。

それでは、小心者が成功する本当の理由は何でしょう?
それは、最悪の事態を想定して経営しているのです。
優秀な経営者の心の中は、将来の楽しいことを考えるのはほんの少しであって、会社が最悪の事態に
なることをいつも想定しています。

「今、不良品を出したらどんな危害をお客様に与えるか」「その時従業員にはどんな責任がかかるのか」
「最悪の場合に会社はどうなるか」と常に最悪のケースを想定し、その対応を考えています。

なんと後ろ向きな性格だろう、そんな心に社員がついてくるか、と思われるでしょう。
ところが、これが思いもよらぬ効果があるのです。

たとえばホテルのサービスなら、まずお客様にPRをしている企画や季節のお料理などの表向きの
サービスが優れていることが大切です。しかし、もっと重要なのはお客様から起こりうる要望やクレーム
をあらゆる角度から想定し、その対応法を細やかに準備しておきながら、何も問題が起こらないように
運営することです。 プロ野球で、打球に向かうスタートが遅れ、飛び込んでキャッチしたのは
ファインプレーではありません。前もって飛んでくる方向を想定し、難しい打球を平然と処理するのが
ファインプレーなのです。

最悪のことを想定することは、さまざまなノウハウが蓄積される効果があるのです。

経営者に必要なのは「精神論」ではなく「精神力」である

最悪のことを考えておくと、他にも良いことが起こります。
経営をしていると、辛いこと、嫌なことに遭遇しますが、優秀な経営者は皆さんプラス発想です。
肝(きも)が据(す)わっていてどんな状態であっても”良し”と考えて乗り切るのです。
曇りなら「雨でなくて良かった」、雨なら「台風でなくて良かった」、台風ならば「地震でなくて良かった」
といった具合です。

プラス発想は、将来を楽観的に考えることではなく、現在の厳しい状況を”良し”とする考えです。
ですから、未来に起こる最悪のことを想定することで、現在をプラスに考えることができるのです。
後継経営者の中には自信が持てずにいつも不安にかられている人がいます。
そんな人は、肝(きも)を据(す)えて”最悪の事態を考え抜く”ことをすればいいのです。ならば、いざ敵が
攻めてきた、社内から不満が噴出した、となってもバタつくことはありません。

経営者が腹を決めると、経営に対する自信がつきます。
経営能力はその後からついてくるものです。胆(きも)が据(す)わるというのは、経営に対して命を惜しまない
状態のことであり、大胆とはこのような心境をいうのです。
経営者は最悪のことを想定することから逃げてはいけません。
最悪の事態になったところで命まではとられまい、と腹をくくれば、強くなれるのです。

精神論で経営はできません。しかし、「絶対に不良品は出さないぞ」「会社を潰してなるものか」という
“精神力”が最終的な歯止めになるのです。
先月10月8日の未明、15人が乗った遊漁船第三明好丸が伊豆諸島の沖で転覆し、2人が死亡し、5人が
行方不明となる悲しい事故が起こりました。船長は「出港時、波が少し高いと思ったが行けると判断した。
前から大波を受けて転覆した」と話しています。

台風並みの低気圧が遊漁船を襲ったようですが、この船の操縦室にあの文字は貼ってなかったのでしょうか。
もし、貼ってあったのなら違う判断になっていたかも知れません。

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