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バイマンスリーワーズBimonthly Words

判断のよしあし

2013年05月

風薫る季節になりました。
新入社員も職場の雰囲気に慣れ、
人と人との間に信頼関係が築かれていく。
厳しい環境がまた来ても、信頼感に満ちた組織は強い。

経営トップと周囲の人との関係が組織全体に与える影響は大きい。
あなたの会社では社長と幹部の結束力は充分でしょうか。
社長と後継経営者の信頼関係は良好でしょうか。
経営陣の心が一つになった組織には、底知れない実行力があります。

残念ながら経営トップと幹部の意見が対立し、迷走する企業があります。
権限のバトンタッチがうまくいかず、イライラしている後継者もいる。
物足りない後継者に、何かと口を挟む経営トップも少なくない。
良きにつけ悪しきにつけ、経営陣の問題は社員の士気に大きく影響します。

人が集まるところ、批判や対立はつきものです。
しかし、判断をするためには反対意見が重要な要素であり、
リーダーには反対意見を聞いた上での最高の判断が求められます。
だから、反対や批判を受けることがリーダーの役割なのだと思えばいい。

人はそれぞれの判断軸を持っており、その違いが対立を生みます。
リーダーの判断軸がぶれてはなりません。
歪んでいてもいけないし、固すぎてもよくない。
さあ、あなたはどのような判断軸を持っているでしょうか。

善の心と悪の心は同居している

人はまず、好きか嫌いか、で判断しています。
好き嫌いは人間の本能であり、尊重されてもいい。
しかし、それはどこまでも自分が中心の判断軸であり、
人の上に立つ人は、好き嫌いを優先した判断はできません。

その次が、損か得か、の判断軸です。
経営者に損得計算は必要不可欠な条件です。
ところが自分が得をすれば、誰かが損をするわけで、
損得だけでは周りからの賛同は得られず、長続きしません。

そして「好きか嫌いか」と「損か得か」の上位にあるのが「善か悪か」の判断軸。
勧善懲悪を第一義とする日本では、誰もが善なる判断をしたいと思います。
ところが「善か悪か」の判断は理想のようで、問題もあるのです。

以前、小紙で紹介した中村久子さんの人生は壮絶でした。
3歳で特発性脱疽という難病で両手両足を失った久子さんは、
独力で文字を書き、縫い物、編み物をこなす技術を身につけました。
【 2010.7月No.118「泥の中の蓮であれ」】

自立して生きるために「だるま娘」として旅芸人になりますが、
義理の父からは、恥さらし、厄介者、と罵られ、
見世物小屋では客に嘲笑され、座員のいじめが絶えなかった。
過酷な人生を生き抜いた人格者の久子さんでも、悪の心が育っていた。
晩年にはこのように述懐しています。

「人様のものを盗み、放火する、詐欺をすることも頭ン中では考えて生きております。
できなかったのは手足のないお蔭様。手足があったらそれをやっていたと思います。
… まあ、少なくても前科五犯という肩書きはもっているだろうと思います」(「花びらの一片」より)

善は悪になり、悪が善にもなる

経営者は、社員とその家族の生活を預かっています。
リストラは社員の経済基盤を奪う、人間として悪の判断。
しかし、経営者としてはリストラを決断せざるを得ない局面もある。
善を第一義としながら、悪の判断をする自分は何と非情な人間なのかと嫌になる。

経営者は、業績を挙げて社員の給与水準を上げたいと純粋に思っています。
しかし、業績不振で現状維持になると人件費が抑えられ、
財務面で、じつは内心ホッとしているもう一人の自分がいる。
口先とは裏腹の、なんと狡い人間なのかと複雑な思いに駆られます。

江戸時代の禅宗の僧、仙厓は書画を使って禅の思想を分かりやすく説きました。
仙厓の作品は、出光興産の創業者で人間尊重の方針を貫いた名経営者、
出光佐三の経営哲学にも影響を与えています。
そんな仙厓の作を一つ。

~ よしあしの 中を流れて 清水(しみず)かな ~ 仙厓
「よしあし」は、「葦(よし)と葦(あし)」と「善し悪し」をかけてある。
葦は”悪しき”を忌み嫌い、葦としたわけで、「よし」と「あし」とは同じもの。
善と悪とは本来同じであり、善は悪にもなり、悪が善にもなり得る、というわけです。

自分が「善」だと思っても、相手にとって「悪」になることがある。
自分は「悪」だと思っても、相手にとっては「善」なる場合もある。

人の心の善と悪を体験し、感じとれる人こそが、
最良の判断をすることができる。
善と悪、清と濁を共に併せ飲む、深い心を持つ人こそが、
悟りに近い決断をすることができる。
人は善と悪の間を揺れ動きながら、人間的に成長する。

ぶれない判断は、そんなあなたに下りてくる

経営者は企業という小国家の中で、立法、行政、司法のすべてを担っています。
社内の制度を作り、事業と組織を運営し、社員の給与や処遇を決めていく。
そして自分の報酬はもちろん、引退の時期まで自分で自分を裁くのです。
だからこそ、経営者は人が対立する渦の中に巻き込まれてはなりません。

人は皆、自分は正しいと思って生きています。
ところが、この「自分は正しい」と思う心がクセ者で、
その裏側には「あなたが間違っている」という否定の心が同居している。
この心こそ、人が対立する構造を生むのです。

人は皆、自分を認めて欲しいと思って生きています。
ところが、「自分を認めて欲しい」と願う心が、
人に悪く思われたくない、という感情を生み、
判断に苦しみ、ぶれるのです。

自分は正しいと思う心は、驕りや怒り、妬みや不満という感情を生み、
夫婦の喧嘩、親子の対立、職場内のトラブルなどを引き起こします。
自分を認めて欲しいと願う心は、相手を認めるチャンスを失い、
いつまでたっても願いは満たされません。
では、どうなればいいのか…。

自分のことはどう思われてもいい!
人から悪者だと非難されてもかまわない。
自分へのこだわりが一切なくなったその時に、
心から納得できる、ぶれない判断がス~ッと下りてくるでしょう。

最後に仙厓の作をもう一つ。
~ 気に入らぬ 風もあろうに 柳かな ~

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