バイマンスリーワーズBimonthly Words
利は義の和なり
新年あけましておめでとうございます。
本年も2カ月に一度のバイマンスリーワーズ、
そして 新経営サービスをよろしくお願いします。
今度こそデフレからの脱却になるのでしょうか。
大手宅配業者の値上げが合図だったかのように、
人件費、素材の値上げといった動きが止まりません。
今年は売価の見直しや昇給で頭を悩ます年になりそうです。
物価上昇と共に株や不動産への投機も活発です。
日本株、米国株も好調で、都心部の不動産も過熱気味。
最近では仮想通貨であるビットコインまでが高騰しており、
儲け話に人が群がるのは、いつの時代も変わりません。
ところが日経平均などの表向きは好調ですが、
企業活動の中身がまったく伴っていません。
それは、家電、自動車、金属、繊維といった、
日本を代表する製造業の失策が続いているのです。
中には会社ぐるみで品質検査データの改ざんが行われ、
問題を把握しながら、公表を先送りした企業もありました。
品質よりも利益を、顧客よりも株主を優先してしまったのか、
世界に誇る日本品質のブランドは大きく揺らいでいます。
現場の隅々まで目が行き届かなかった、では許されません。
上場企業のトップは世の経営者の手本であって欲しい。
頭脳明晰できわめて優秀な人物であるはずなのに、
どこでボタンの掛け違いをしてしまったのか…。
道義から外れると 利益は生まれない
備中松山藩(今の岡山県高梁市)の財政危機を救い、
産業振興、藩政改革を成し遂げた幕末の陽明学者 山田方谷。
藩の借金10万両を8年で返済し、さらに10万両を貯蓄した手腕は、
米沢藩を立て直した上杉鷹山を越える「財政の巨人」とも呼ばれています。
公共事業で発行した「藩札」の価値が大幅に下がり、
松山藩は借金に借金を重ねる悪循環に陥っていました。
方谷は思い切ったパフォーマンスで民衆の心を一新させます。
城下の河原で旧藩札を山積みにして、皆の前で燃やしたのです。
そして藩の施設を売り払い、藩士の給料を削減した資金で、
藩札を本来のレートで交換する健全な環境を整えていきました。
方谷が新しい藩札の兌換を義務付けると松山藩に資金が流れはじめ、
みるみるうちに信用力が高まって、経済の悪循環を断ち切りました。
方谷には信念があり、32歳で記した「理財論」でこう述べています。
~ 義を明らかにして 利を計らず ~
理財論 ですから財政の方法論かと思ったら、
「利」と「義」を区別して 義を明らかにせよという。
利益を優先した品質データの書き換えは、
道義にはずれた行為であり、利益は得られない。
経営の「義」は”ウソをつかない真の経営”であり、
道義なくして 利益はありえない、ということでしょうか。
「義」の持つ意味合いは他にもあります。
一般的に、国家や公共のための心がけに使われますが、
受けた「恩義」を大切に思うことだ、という意味もあるでしょう。
いや”弱きを助け 強きを挫く”「正義」の味方のことかも知れません。
義にかないつつ 和合する
ところが経営者という職業の「正義」には、
利益をあげて会社を守ることだ、という考えもあります。
特に上場企業には、利益で社会に貢献するという「正義」があり、
こう考えると”経営者の正義は利益である”という逆説も成り立ちます。
お釈迦様は”嘘も方便”と説いており、
世のためになるなら、ウソも許されるという。
たしかに行政による品質基準には度を超えた感もあり、
利益無視の管理で経営が傾いたら、何のための「義」なのか。
経営者はいつも人の問題で頭を悩ませています。
正義の実現を訴えているが、考えの合わない社員がいる。
最後には考え方の合う人だけで経営したい、そんな心境になる。
しかし、そんな人間関係ができるはずもなく、どうしたものか…。
方谷は理財論の後半で、中国の古典『易経』から引用し、
~ 利は義の和なり ~
と語っています。
これはいったいどういう意味でしょう。
易学に精通した 本田濟氏の解説によると、
「利は義の和なり」とは「義にかないつつ 和合すること」だという。
~ 和 は、自他の違いを、違いのままに許容することであり、
君子は 違いは違いのままに認知して、自己の主張を強制しない。
他者の主張が自分の主張と違うからといって、排斥しないことである ~
会社には、考え方や主義・主張の違う人が集まっています。
トップはそれぞれの主義や主張を排斥するのではなく、
各人の意見を認めながら、いかに和合させるか…。
この「和合の精神」が大きな利益を生むという。
昨年の衆院選で大躍進の可能性があった「希望の党」でしたが、
理念や政策が異なる人は「排除します」とのトップ発言で惨敗。
組織のトップは、自分の主義・主張と違っても排斥しない、
「和合の精神」の重要性が証明された出来事でした。
「利」は自分のために 「義」は他者のために
さあ、結局のところ「利」とは何か、「義」とは一体何なのか?
じつは、利と義の関係は歴史的にも多くの人が悩んだ問題で、
よく考えると、この世を生きる人は”自分のために生きる人”と、
“他者のために生きようとする人”に分かれることに気づきます。
自分が生きていくのが精一杯ならば、
他者に迷惑をかけぬよう、自分が生きるための「利」を求めるがいい。
ある程度、自立できるようになったなら、
親や恩人、社会など、自分以外のための「義」に生きよう。
利が義になり、義は利にもなるわけで、
このような「利」と「義」の関係は、
「自利利他」の精神と相通ずるものがあります。
「義」の積み重ねが、いつか実りの「利」になるわけです。
国の借金は1000兆円を超えていますが、
その返済は私たちの子孫に付け回しされています。
某メガバンクは10年間で1万9千人もの人員削減を発表。
これらの政策は”利は義の和なり”に適っているのでしょうか。
表向き好調な大手企業の恩恵もあって、
中小企業も今の段階では総じて好調です。
それが経営者の実力なのか、運によるものかは、
いずれやってくる厳しい経営環境の際に証明されます。
~ 屋根を直すなら よく晴れた日に限る ~
ジョン・F・ケネディのこんな名言も聞こえてきました。
好況感は2020年頃まで続きそうですが、その先は全く不透明。
しっかりと自立した、台風でも津波が来ても倒れない会社をつくっておこう。