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バイマンスリーワーズBimonthly Words

天を楽しみ 命を知る

2023年05月

「二刀流? ふざけるな。一刀流でも大変なのに、プロをなめるな!」
大谷翔平選手が日本のプロ野球で投手と打者の二役に挑戦した時、
球界の重鎮であった野村克也氏にこのように批判されました。

その後の5年にわたる大谷選手の活躍ぶりに、
今はどう思っているのか、と野村さんに尋ねると、
「取り消し!彼のプレーを見て、考え方を改めます。
 大谷さん、すみませんでした」と潔く頭を下げました。

そして2018年、メジャーリーグに挑戦することになり、
この頃には投手と打者の大谷選手を支持する人が増えましたが、
「メジャーでの二刀流は難しい…」が大勢の予想だったでしょう。
しかし、結果は野球界の常識を根本から覆す、異次元の活躍でした。

なぜ彼は、困難で過酷な「二刀流」の道を選び、それが実現できたのか。
今回は、技術面や肉体面での考察は、専門のメディアに譲るとして、
分かれ道に立っている人が、人生の選択をどのように決めるのか、
について、心理的な側面からアプローチしたいと思います。

「二足のわらじを履くな」と言われ、
二刀流の道をあきらめた僧侶がいました。
今の大谷選手とは正反対の決断をすることで、
大事業を成し遂げたお話から、まず入りましょう。

「安心して死んだらええ」は天の声

奈良を代表するお寺の一つ、薬師寺の管主だった高田好胤師。
戦後まもない頃の薬師寺は金堂もない荒れ果てた貧乏寺で、
収入源の拝観料は戦後の不安定な経済下で見込めません。

大学を出た好胤さんは、寺の「僧侶」をしながら、
学校の「教員」になって現金収入を得ようと考えました。
が、師匠の橋本凝胤師は「二足のわらじを履くな」と許しません。
「それでは食えません」と訴えましたが、師の答えはこうでした。

「坊主は坊主らしくしておれば、世間の人が食べさせてくれる。
 食べさせてくれんかったら、そんな世間の人が悪いのやから、
 お前には罰(ばち)はあたらん。安心して死んだらええ」

充分に納得できなかったが「死んだらええ」の師の言葉に、
教員の道を断念し、僧侶として仏道に専念する道を選びます。
そして、「寺にやってくる修学旅行生たちに仏心の種を蒔こう」
と発心し、18年間にわたり600万人に青空説法を続けました。

管主になった好胤さんは、室町時代に焼失した金堂の再建に着手します。
それは、写経1巻千円の納経料、百万巻で再建資金を集める遠大な計画。
好胤さんは全国を講演に回って写経を呼びかけ、その数は八千回に及びました。
その聴衆者の中には、あの青空説法を聴いた元修学旅行生たちも大勢いたのです。

そして1975年、ついに目標であった百万巻を達成し、
翌年には悲願であった金堂が完成、落慶法要が行われました。
大企業の高額寄付には頼らず、百万巻の写経勧進による伽藍の復興。
様々な批判もありましたが臆せずに説法を続け、大事業を成し遂げました。

「誰も歩いたことのない道を…」も天の声

長寿企業を生む京都商法の基本は「一点集中」にあります。
商品を絞り込んで集中する方法で、好胤さんが選んだ道と同じです。
ところが、京都商法には「伝統を重んじ革新を求める」「道徳と経済の両立」
といった対極のものを両立させる、ハイブリッド型も重視されています。

大谷選手が高校1年生の時の目標はピッチャーでしたが、
打者としても飛躍的に成長し二刀流が視野に入ってきました。
そしてドラフトで1位指名をした、当時の日本ハム栗山監督から、
「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」と言われ、決断しました。

大谷選手が投手か打者に絞り込むことは安全策だったかも知れないが、
誰が考えても困難で過酷な「二刀流」に挑戦できたのはなぜか?
好胤さんが、600万人もの人たちに青空説法を続け、
全国行脚で八千回もの講演を続けられたのはなぜなのか?

~ 天を楽しみ 命(めい)を知る 故に憂えず ~(易経 繋辞上伝)
中国の古典 易経からの引用です。
「何かに懸命に取り組むことで 自分の天命に気づき、
 それを天職とすれば人生を楽しむ事ができ、憂いがなくなる」

また、このような解釈もできます。
「天の声に耳を傾けることで己の天命を知り、
 ありのままに従い、大自然の理に任せて楽しむ。
 ならば、私たちは何の心配もすることもなく、楽になれる」

大谷選手の特大ホームランの感覚は“最高に楽しい!”に違いありません。
WBC決勝戦の最終回、トラウトを三振に打ち取ったスライダーは、
本人も最高の感触だったでしょうし、私たちも心底しびれました。
あんな楽しみを知ってしまったら、どんなに苦しい練習であっても、
どんなケガに見舞われても、楽しさの渦に吸い込まれてしまうでしょう。
栗山監督の「誰も歩いたことのない道を…」は、まさに天の声だったのです。

天の声が聞こえたら それを天命にして生きよう

好胤さんが聞いた「死んだらええ」も天の声でした。
天の声に従って、青空説法と全国講演を続けるうちに、
そんな日々の行動が「最高に楽しい!」と感じたのでしょう。
ご本人は語っていませんが筆者の私が間違いないと断言できます。

お陰さまで経営者大学も1987年から長きにわたって続いていますが、
これは参加メンバーをはじめ、様々なお力添えがあってのことです。
そして、講師の私が続けられているのは、この仕事が天職であり、
「何よりも楽しい!」と感じていることを確信するからです。

好胤さんはいつもユーモアを交えて話す人でした。
薬師寺を参拝された昭和天皇をご案内する機会があり、
「そういうわけで、この塔は六階に見えますが三階なのです。
 どうぞ誤解(五階)のないように…」
といったダジャレを連発しましたが、昭和天皇は表情を崩さず、
いつもの調子で「あ、そう」と応えたといいます。

笑わない天皇陛下に好胤さんはますます畏まったそうですが、
受けなくても、めげずにダジャレを続ける姿勢に共感を覚えます。

人生の分岐点では右か、左か、それとも両方か…、
誰でも迷うことがあるでしょうが、冷静に考えましょう。
天の声が聞こえてきたら、それを天命にして生きるのがいい。
己の天命に気づいている人は、どれを選択してもそれは正解です。

球界の常識を根本から覆した大谷選手を「宇宙人」と呼ぶ人も多い。
WBCで予選敗退した韓国や中国にも配慮した発言をしており、
野球を通じて世界平和を目指しているのか…、とも感じます。
地球規模で愛される彼の天命は、宇宙にあるのかも知れません。

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