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バイマンスリーワーズBimonthly Words

過ちて改めざる、これを過ちという

2000年05月

「インターネット株に酔いしれている人達に言おう。宴は長く続かない。多くのインターネット企業は消え去る運命にある。インターネット企業は今も、そして今後も利益を出し得ないだろう。早晩、このような投機的なブームは崩壊する。そのこと自体を予測することはたいして難しいことではない」

アメリカで、そして当然のように日本でも起こったインターネット関連株の急騰と暴落。このような事態になることをピーター・F・ドラッカーは、昨年4月の日経ビジネス誌の取材インタビューでこう語っていたのです。

インターネットビジネスは熱狂的な普及成長期を過ぎて、早くも参入企業が選別、淘汰される時代に入ったといえるでしょう。米会計事務所アーンスト・アンド・ヤングの調べでは全米で現在3万社ほどあるネット専門の小売業のうち、2万5千社ほどは消え去る運命にあると予測しています。

かといってインターネットを利用した電子商取引自体が縮小するわけではありません。電子商取引の形態はB to B(企業間の電子商取引)、B to C(企業と消費者の電子商取引)共にその利用価値は計り知れず、今後も確実に広がっていくでしょう。

インターネットの本質はそれ自体に価値があるのではなくて経由する情報の中身に価値があるのです。要するに現在の情報化技術はデータの加工や伝達技術に優れていても、経営者や消費者が意思決定をするために本当に必要な情報は与えてくれないことがわかってきたのです。インターネットを利用した新興企業のほとんどは、店舗を持ち販売ノウハウを持った従来の企業にネット販売の魅力を伝える役割を終えて、倒産・買収により集約されていくでしょう。

企業経営に投機はいらない

日本のベンチャー公開ブームも異常に思えてなりません。外国ならば最初に株主に対していかにリスクが大きいかを明示するのに、日本のそれはいい面だけをアピールしているのが実状で、これでは健全な店頭市場が育つはずがありません。

まず投資する側の問題。今の投資家のほとんどは売り買いのタイミングを重視し、いかにして儲けるかという姿勢です。真剣にベンチャー企業を育てるなら、たとえ評判が悪くなってもじっと我慢して資金を引き上げないのが本来の投資家の姿ではないでしょうか。投資はその事業を育てるために行なわれ、投機は資本家が儲けるためにあるわけで目的の根本が違います。ですから投機はギャンブルの域を出ません。はたして競輪や競馬とどれほどの違いがあるのでしょうか。

サラリーマンの小遣い稼ぎの競輪や競馬はいじらしいほどのものですが、社会的意義を求められる企業経営をギャンブルの対象にするのはいただけません。だから公開企業の経営者はいつもギャンブラーの眼を気にし、時にはその眼をごまかすために、だましだましの経営を続けるという馬鹿げたことが行なわれていくのです。

私達は経済社会にギャンブルの手法を持ち込み、バブルの形成・崩壊という大きな過ちを犯したのです。そして、その過ちの見返りに未曾有の不況という仕打ちを受けているわけで、この禊が充分に済んでいないうちに今回の株式公開ブームが起こったのです。根本が治っていない病気は必ず再発します。

信頼できる先に投資し、信頼されて謹んで投資を受ける、こんなあたり前の関係が実現できなければ日本の根本的な経済復興はありえないでしょう。いまだに株にのめり込んでいる経営者がいますが情けなくなります。なぜよくわかりもしない他社の株を買うのでしょうか? どうして自分の会社に投資しないのでしょう。そこまで自分の経営手腕に自信が持てないのでしょうか ……。

もう一つはベンチャー企業経営者の姿勢の問題。雇用情勢は今年に入って悪化の一途です。3月の段階で失業率は4.9%と過去最悪。そこで雇用情勢を回復させるためにベンチャー企業に期待が寄せられるわけですが、いい加減な経営姿勢のベンチャー経営者が投機ブームに乗って担ぎ出されて失敗でもしたら、真摯な姿勢で事業に取り組もうとする経営者までが誤解を受けることになります。

「バブルの塔」とまで言われた新宿のディスコの経営に失敗した経営者が介護ビジネスに進出し、注目されています。介護関連事業はこれからであり、新しい発想と高度な経営手法がどうしても必要です。ですから民間の意欲的な経営者の活躍が期待されますが、介護関連事業は人の命や健康を預かる「尊厳事業」でもあり、儲かる、儲からないといった判断尺度の事業であってはならないと思うのです。医療、健康、介護といった尊厳事業には人々の命と健康を守るという使命感が欠かせません。純粋な使命感が動機となって事業を起こさなければ苦しくなったときに判断を誤るからです。

今回の経営者がどれほどの使命感をもっているか、現段階ではわかりません。

過去の過ちを認め、精算しておく

論語の一節には「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」とあります。

人間であれば誰でも過ちを犯すのでこれはやむを得ない。問題なのは過ちを犯すかどうかではなく、犯した過ちを改め、どのように償うかである。自分の過ちを認めようとしないのが本当の過ちであるというのが大意です。

今、苦しい状況に置かれているのは、過去の判断や行動に過ちがあったからで、自分の中にある病巣の根本治療を施してから新しいことに取り組まなければ、また同じような過ちを繰り返します。

私達は今回の不況のなかで、なぜ大幅な売上低下に見舞われたのか?なぜ赤字転落したのか?なぜ資金繰りに追われるほどの苦境にたったのか?といった事柄について、根本原因はどこにあったのか、今のうちに自己分析をし、今後の教訓の整理をしておいた方がいいのではないでしょうか。

●銀行の甘い誘いに乗ってしまった。……銀行が悪いのではありません。誘いに乗った経営者の判断が間違っていたことを素直に認めること。ゴルフ会員権、不動産投資などその時の銀行はこれこそお客さんのためになると判断して誘ったのです。

教訓 → 銀行は資金を融通するところ。経営判断を売る会社ではない。

●決断の先送りをしていた。 ……これが組織のパワーを落とし、競合他社に追随を許す結果になったケースが少なくありません。結構、根の深い問題です。治っていなかったらトップは交代した方がいいでしょう。

教訓 → 決断することを恐れない。失敗だと分かったときに素直に認め、修正すれば良い。

●過去の成功が忘れられなかった。……企業は環境適応業。過去の成功要因は時代が変われば失敗の要因になることが少なくない。経営で最も重要な仕事である「判断業務」をする人が過去の成功に浸っていて変革はできません。

教訓 → 過去の栄光はあっさり捨てる。

●部下の意見に耳を貸さなかった。 ……部下の意見を聞け、という人もいれば、部下の意見に惑わされず自分の考えを通せ!と主張する人もいる。どちらが本当なのか。どちらも正解、どちらも間違いである。現場を知った部下との充分なコミュニケーションを図っておけば間違いない。

教訓 → 部下とのコミュニケーションを欠かさない。

●成長事業を追いすぎた。 ……いいところばかりを求めてもうまくいきません。力のある選手ばかりを揃えてもすんなり勝たせてもらえないプロ野球球団があるように事業も同じ。損と思えるような、無駄と感じるような商品や顧客そして社員には派手さこそないが、意外と貢献している。

教訓 → ええとこ取りをしない。歩のない将棋は負け将棋。

判断に迷ったら理念に帰る

経営の根幹により深く関わる教訓は「家訓」として今の世にも脈々と生きています。三井、住友、鴻池など何百年と続く老舗に伝わる「家訓」のほとんどは、派手に消費文化を謳歌した元禄から一転し、長い不景気とデフレ経済であった享保の時代に制定されています。現在の日本に酷似しており、当時の商家が存続をかけ、守りながらいかに攻めるかという智恵の結晶を「家訓」としたわけです。

家訓を現代に置き換えると差し詰め、経営理念となるでしょう。経営理念とは社員や取引先に対して訴える意味もありますが、最終判断を下す経営者が迷ったときに立ち返る「判断の縁(よすが)」として経営者が自分自身を戒めるための言葉がいいようです。

経営理念の重要性を考える時、何でもビジネスにする最近の風潮にはどうも賛同できません。そこには私達が絶対に踏み込んではならない一線があるように思うのです。

たとえば基礎研究に属するはずのヒト遺伝子の解読にコンピューター産業が参入してきました。儲かるからです。ヒトの遺伝子解読で特許なんて倫理的に大問題です。

訴訟大国のアメリカでは弁護士が訴訟で巨額の賠償金を勝ち取って成功報酬を受け取るという形態で、それは訴訟を商品としたビジネスになっています。交通事故の現場で血を流している人のポケットに名刺を入れていくような守銭奴弁護士がはびこり、依頼する側も高額の報酬を払っても取れれば良い、という発想が優先されているようです。そこに倫理や道徳のカケラも見当たりません。近年日本で多発している保険金を目的とした殺人事件と大差ありません。「しまいにはバチが当たるぞ!」と言われそうで、日本がそんな国家にならないように祈るばかりです。

企業経営に理念が必要なのはなぜなのか。それは事業運営には自社を守るための利益が必要なために、事業行為が利益だけを追いかけているように社員や外部から誤解を受けるのです。そして何よりも経営者自身が己の利益に走ってしまうことに対して自浄作用を持たせ、経営判断を間違えないようにするための天の声なのです。

論語読みの論語知らず、と笑われそうですが、大いに反省している今のうちに経営理念を見直してはいかがでしょう。そしてまた、苦しくなったときや迷った時にはその理念に戻ればいいのです。

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