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バイマンスリーワーズBimonthly Words

一灯照隅 万灯照国

2001年05月

こんな事件が都内の某所でありました。

込み合う電車の中、携帯電話で聞くに堪えない雑言をあたりはばからぬ大声でまくしたてる若者がいて、周囲の人が顔をしかめている。見かねた年配客が注意すると、逆上した若者はその客に殴る、けるの暴行をしかけた。周りにいた男性乗客が若者を取り押さえて最寄りの駅で引き渡したが、その男性が若者を駅員に引き渡した際、「車内で起きた若者と年配客の言い争い」としてけんか両成敗のように扱われる空気を感じて、あえて警察への証言を申し出た。事件に遭遇した周囲の人のそんな努力もあって若者は逮捕されたという。実際に起こった事件で、今の時代を象徴しているような話です。

若者を中心に絶対的な支持を受け、一挙に日本中で6000万台にまで浸透した携帯電話。街角で、ビジネスシーンで、また海や山での遭難事故、女性や子供の護身用でもその威力を発揮し、今やなくてはならないツールとなりました。加えてiモードの利用者はゆうに2000万人を超え、5月からは離陸が難しいと言われていますが第三世代(3G)携帯電話のサービスが始まり、さまざまなコミュニケーションネットワークが広がっています。

私も既利用者の一人として携帯電話の便利さは大いに認めるところですが、急激に普及した反動なのか、モラルがついてこないのが残念でなりません。街角での“歩きながら”や商談中の“割り込み”などは当たり前。電車や映画館での着信音は回りの人に実に迷惑。“禁音”という新語でマナーの徹底をうたっているJR新幹線の中でも一流企業のビジネスマンと思しき人がやりたい放題。極めつけは公衆トイレで、なんと、立って用を足しながら…という見苦しさ。世界に誇れる公衆道徳を持っていた日本人もここまで落ちたか、と思わざるを得ません。

携帯人気を支える“自己存在確認の欲求”

携帯電話の人気は今の日本人の心を投影しているように感じます。それは消費者が“便利なもの”を求めているというだけでなく、日本人の多くが人とのコミュニケーションを通じて自分というものの存在を確認したいという“こころの癒(いや)し”を求めているように思うからです。

堀田 力氏が新刊書「心の復活」で、現代人は“自己存在確認の欲求”を持っていると言っています。氏はマズローの欲求五段階説を、

①食物、性、睡眠などの生理的欲求 ②安全を望む欲求 ③愛・集団所属の欲求

④自尊心・他者による尊敬の欲求 ⑤自己実現の欲求

という言葉で表現し、三段階目の“愛・集団所属の欲求”以降の欲求はすべて他者との関係で満たされるものであり、人間は、社会とのつながりの中で自分の存在意義を見出すことを望む動物であることがわかる。これが“自己存在確認の欲求”であり、それを満たそうすることが生きがいになるのだ、というのです。

この話を読んでふと気がついたのです。

携帯電話というのは、この“自己存在確認の欲求”を満たす機能を現代社会で最も保有する道具ではないかということです。特に若者にとっては、いつでも、どこでも、恋人や友達とのネットワークの中に自分がいるという安心感、満足感を感じさせてくれる最高のものと思われます。

テレビの街頭インタビューで「もし、携帯がなかったら?」という質問に、若い女性が「生きていけない」と答える気持ちが見えてきます。不安な心を癒し、落ち着かせてくれる携帯電話がない世界は今となっては想像できないのです。それほど現代人とは寂しがりやで、自立心が希薄なのかもしれません。

一昔前は、ご近所、職場、学校など、周りの誰とでも言葉を交わして、コミュニケーションをとらなければ生きていけない環境がありました。話をしない子供には大人のほうから声をかけたものです。電話でも訪問でも目当ての人を呼び出すときはいったん誰かが出るのでそこをどう突破するか、と考えました。このような社会では必ずマナーというものが必要だった訳ですが、携帯の世界は、マナー不要のコミュニケーションの場をいっぱい作ってしまったようです。一部の人のこととはいえ、傍若無人な人間を誕生させているようで、割り切れないものを感じます。

私は携帯を利用することの批判を申し上げているのではありません。コンピューターや通信技術の発達により、便利で、スピード感のあるこれまでにない社会が誕生したわけですから、人々が周りの人を思いやる価値観を共有し、新たな公衆道徳を確立する必要があると思うのです。

残念ながら公衆道徳どころか、極悪非道な犯罪が多発し、小学生までが毒されている社会になっています。どこまでおかしな国になっていくのでしょうか。どうも人々の心の一部が欠けているように思えてなりません。

今の不況は“携帯不況”か?

経済的な観点から見ると日本の消費者は完全に守りに入っています。

日用品、衣料品、食料品、家電製品、外食産業など、ほとんどの消費が低迷し、出口が見えません。その原因はいくつか挙げられますが、一つには問題の携帯電話があると思われます。消費の牽引役である若者のほとんどが携帯電話を所持し、その支出は一人月額1~2万円というのがザラで、5万円以上というのも少なくありません。アルバイトをする目的が携帯料金を捻出するため、と平然と語る若者もいますが異常です。通常、若者の一ヶ月の支出額は限られていますので、そのしわ寄せが他の消費に影響します。つまり、日用品や化粧品などは100円ショップで、衣料品はユニクロで、食事は半額バーガーか激安の牛丼、といった現象が起こっているのです。私の家でも月々の通信料金が2年前と比べて2~3万円増加し、その分だけ衣食住の消費は下がっています。ほとんどの家庭で同じような現象が起こっているでしょう。ならば仮に6000万台の携帯電話が月平均で5000円を利用するという少なめの設定でシミュレーションすると、年間で3兆6千億円という消費が携帯電話に奪われていることになります。現実はもっとあるでしょう。

携帯電話の登場は、琵琶湖に外来の猛魚・ブラックバスが異常繁殖し、魚の生態系が狂ってしまった現象とよく似ています。携帯電話がその他の市場を侵食し、個人消費者の消費バランスが崩れて日本経済全体に影響を与えているのは間違いないでしょう。

もちろん、消費低迷の原因は携帯だけではありません。雇用不安と将来の生活不安を抱えているために多くの日本国民は消費を抑えるのです。ですから、日本の将来ビジョンが見えなければ消費意欲は高まりません。

昨年「浪費なき成長」を書いた内橋克人氏はその著書で、日本の消費が上向かない根本原因を明快に説いています。95年の阪神淡路大震災で当時の村山首相が「自然災害に個人補償はない」と明言し、道路や鉄道などの生活基盤の復興工事には力を注ぐも、被災者個人への支援金はわずかに留まった。災害に苦しむ個人に対して国は何もしてくれない、という不安を抱いた国民が自己防衛で貯蓄に走る姿こそが消費低迷の根本原因であるというのです。

この国民の不安な気持ちは大いに理解できます。この感情が政治に対する関心の低さであり、消費低迷という政府に対する国民のメッセージとして表現されているのです。

「効率」と「便利」に潜む落とし穴

20世紀は資本主義社会の完成を目指した世紀であったといえるでしょう。その資本主義を支える企業のキーワードは「効率」でした。経済的に国家や国民が豊かになるには、効率がすべてだったのです。ところが、効率を求めすぎた代償として過剰生産によるモノ余り、そして地球環境破壊というツケを企業自身が背負うことになったのです。

一方、企業活動の恩恵を受ける消費者側のキーワードは「便利」でした。自動車、家電、パソコン、スーパー、コンビニ、そして今回の携帯電話など実に便利なものばかり。消費者は便利なものに飛びついたのです。ところが便利な社会を実現してより豊かな人間生活を送らねばならないのに、逆にモラルの低下、自立心の欠如、犯罪の増加といった精神面での低下を招いたことは否めません。これも便利を求めた反動がきているのでしょう。

このような事態になっているわが国の現状に対して、中小企業という小社会を率いる私達経営者はどのような考え方で、組織の人々を指揮・指導していけばいいのでしょうか。

一灯照隅、万灯照国

これは比叡山の延暦寺を開いた最澄の言葉です。一人ひとりが自らの受け持つ一隅を照らす。そして一隅を照らす人が増えてゆき、万の灯となれば国全体を照らすことになる。という教えです。キリスト教でいう“暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう”と根本は同じです。

世の中の消費が携帯電話に偏ることに対しては、社員の一人ひとりがブレーキをかけるように指導しましょう。あなたは麻薬のような使い方をしていないでしょうか? 今、かけようとしていることは、今でないとダメですか? かける相手の周囲の人に迷惑はかかりませんか? 会社に費用を負担してもらっているからという安易な考えをしていませんか?、と。そしてまず自身が無意味な利用を慎み、利用料金が減った分は他の価値あることに使うように手本を示しましょう。

世の中のモラルが低下しているのは心の豊かさが不足しているのではないでしょうか。モラルが低下するのは自分の心が満たされないために他人の心を推し量る余裕が持てないからです。ここで自分ができること、しなければならないことを棚に上げて人の批判をすることは慎まなければなりません。まず自分自身の心を豊かにするような働きかけをしましょう。

そのために、自分が人にできる簡単なことから実行に移すことです。“一日一善”の精神を社内に浸透できないでしょうか。ならば、何らかの充実感が社内に充満することでしょう。

今の人々は命の大切さ、こころの豊かさを忘れ、なぜか満たされない気持ちのまま人生を送っているのかも知れません。しかし、そこにも一つの灯りがあるのです。

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