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株式会社新経営サービス

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バイマンスリーワーズBimonthly Words

見てござる

2001年07月

なんと最近は残忍で凶悪な事件が多いのでしょうか。

銀行やコンビニを狙った強盗やひったくりは日常茶飯事で増える一方、ストーカーに幼児虐待、親子間の殺人、そしてついに小学校で8人もの幼い命が奪われるというあまりにも凄惨な事件が発生してしまいました。

将来の日本を担う若者や子供達のこころの奥に、このような事件情報がどんどん押し詰まっていったらどうなるのでしょう。親が子を、子が親を殺(あや)めることが頻繁に起こり、学校内で無差別な殺人が繰り返されるような社会でいったい誰を信用すればよいのか。彼らはいつも何らかのストレスを感じ、こころの落ち着きを失っていくのではないかと思えてなりません。

事件とまではいかなくても国民のモラル低下も問題です。

環境問題解決のために施行された家電リサイクル法なのに、逆に廃棄物の不法投棄が増えています。電車内のマナーも相変わらずで、それを注意した人が逆に殴り殺された事件などは果たして社会にどのような影響を与えるでしょう。

公衆道徳をわきまえない人はいつの時代でもいるものですが、今はそれに歯止めがかからないのが問題です。これまでは人に迷惑がかかる行為に対してそれを注意する人が大抵いました。ところが注意をして逆に乱暴を受け、時に命まで奪われる事件情報が流れると他人への迷惑や不正に対して多くの人が口をつぐむようになる。勇気を持ってとがめる人は大幅に減り、悪にブレーキがかからない社会になるのではないかと心配されます。

 

モラルが低下し、凶悪で残忍な事件が増加してきた背景にはいったい何があるのでしょう。

そこにはマスコミの問題もあるでしょう。心暖まる話題をより多く提供して欲しいけれども、どうしても事件性の高いものが視聴率のアップにつながる。マスコミ報道を通じて犯罪への好奇心を煽ることになっており、マスコミの責任は重大です。

ITを中心とした技術の進歩もあるでしょう。コンピューターの発達で周りとのコミュニケーションが円滑にできなくなった人、情報過多で不安を感じる人、スピード優先で変化についていけない人など、世の中の変化と人のこころとの調和が崩れているように感じます。

なんと言っても長引く不況が背景にあります。失業率は戦後最悪を続け、経済的な不安が人々を犯罪に走らせる一因になっているでしょう。経済の不安定感が人々の心の奥底に沈殿し、モラルの低下、個人主義の名を借りた「エゴ」が広まっているように思えてなりません。

はたしてこれからの日本はどうなっていくのでしょう。

社会問題となる経営者の判断

人を指導、監督する立場にある人が引き起こす事件も後を絶ちません。

教師、裁判官、警官などの不祥事はその職業に対する社会的信頼を失墜させ、社会を維持する緊張感を低下させます。

そして、経営者が引き起こす事件。昨年7月、民事再生法適用申請直後に所有不動産を譲渡し、自分名義の預金約1億5500万円を解約して差し押さえを逃れようとした“そごう”の水島広雄前会長。89歳にもなって欲ボケも甚(はなは)だしい。そごうの破綻でどれだけの多くの人々が苦しんでいることか。金の魔力に取り憑かれると、ここまでやるかと情けなくなります。

古い話ながら1982年、見せかけのスプリンクラーなど手抜き防災設備が原因で死者33人負傷者34人という大惨事を引き起こしたホテルニュージャパン。当時社長だった横井英樹は宿泊客の多くが生死の境にいるその時に自宅で火災発生の第一報を受け、出した指示は「ロビーに置いてある高級調度品を急いで運び出せ!」であったという。

経営者の判断はひとつ間違えば多くの人の命を奪う。しかし、この程度の判断しかできない人間が組織のトップに居座っているのも情けない。

 

エゴの塊のような経営者が未だ権力を振るう一方で、業績不振による資金繰りの苦しみから逃れるために自らの命を代償にする中小企業の経営者が増えています。

子供の頃から「人様に迷惑をかけてはいけない」と教えられた正義感の強い人が多く、銀行からの融資ストップの宣告で望みを絶たれ、自らの命で償うという選択でしょう。

窮地に追い込まれた経営者の精神的苦痛は計り知れません。命を投げ打った正義感を尊び、そっとしてあげることが霊を慰めることになるでしょう。

しかし、しかしです。もっと違った選択はなかったのか。命を代償にする以外に打開できる方法があるはずなのに、それこそ元気な身体さえあれば何でもできるのに、と思うけれどもそうはいかないところに人間のはかなさを感じざるを得ません。

 

己の命と引き換えに償いをする中小企業経営者がいたり、醜いばかりの金銭欲・名誉欲にまみれ犯罪スレスレを平気でやる経営者が混在する現在の日本。

経営者が誤った行動に出るほんの少し手前で、また自ら命を絶とうとするその刹那に、ちょっとでいいのです。これではいけない!と感じる、なにか行動に移す前に何らかの制御装置が働くようなことができないものでしょうか。

迷いは悟りに、苦しみは楽しみに

その昔、薬師寺の高田好胤管主が用事で首相官邸を訪ねられた折、同席していた当時の官房長官、保利茂氏に「宗教とは一言でいうとなんでしょうか?」と尋ねられ、

「難しく言えばきりがないが、素朴に言えば“見てござる”ということになるのではないでしょうか」

と答えられたそうである。

なるほど…。

誰も見ていなくても仏さまだけは、ある時は暖かく、ある時は厳しく私達を見つめておられる。迷っている時も、苦しんでいる時も私達を見守ってくださっている。いずれ、迷いは悟りとなり、苦しみは楽となる、といったところでしょうか。

迷った末に心の奥に引っ掛かるものを残しながらも決断しなければならない経営者。不思議なことに心の奥にフタをしておいたことが現実となり、己の判断が間違っていたことに気づく。なぜ自分は間違ったのかと何度も迷い、苦しむ。初期の頃は、状況判断が甘いとか、勉強不足といった浅いレベルでの気づきだが、何度も繰り返していくうちに、本当の原因は表面的な力ではなくて、根本の「心のもち方」にあることに気づく。たとえば「動機」が不純ならばいずれしっぺ返しがあり、善ならば必ず成就するものである。こんな気づきが悟りとなっていく。

迷い、悩み、苦み …… どんな時でも神や仏にかかわらず誰かがちゃんと“ 見てござる ”というわけです。

なかなか成果が出ずに悩んでいる時も誰かが“見てござる”。やっていることが正しければ、必ず成果は出ます。結果が出ないのはやっぱりどこかで手を抜いているのです。真剣にやらずして何ができるでしょう。あとは時間の問題。ことによっては3年から5年、いや10年以上かかるかもしれません。

新商品を出してもすぐに真似をされる。しかし、そこで競争相手に負けないように工夫を加え、改善を続けることで「商品を開発し続けるノウハウ」が蓄積される。

サービスの開発も同じこと。京都のMKタクシーは乗務員のマナー向上に努め、それを定着させ、顧客に認められるようになるまでに20年もかかっている。

正しいことは、続ければ必ず成就します。正しいことは必ず成功するように神や仏が、親や師が“見守ってござる”と考えれば、案外勇気が湧いてくるものです。

陰日向なく生きる

世の中には「陰」と「陽」があります。

「陽」は日の当たる場所で多くの人の目に触れる。こんなところでは大抵の人は、人目があるので悪いことは考えません。

「陰」は暗いためになかなか人目につかない。人は精神的に弱いもので、人目につかないと「誰も見ていないだろう」と考えて手抜きを始めます。

しかし、その瞬間に誰かが“見てござる”のです。

店長をされている方もこれをお読みでしょう。本部の眼ばかりを気にして店舗運営をしていませんか。本部が見ていないところでもやるべきことがちゃんとできているでしょうか。

部門管理者の方で、上司に良い報告はするが自分に都合の悪い報告をしないということはありませんか。報告を受ける人は「陰」の部分が見えないので、こんな人は信用せず、登用もしません。

経営者の方は公私混同をしていませんか。個人的な支払いを会社の経費に回していませんか。“悪銭身につかず”とはよく言ったもので、悪運強く税務署の調査を逃れたとしても、経営者としての品格が問われ、いずれ社員や取引先から見放されます。

人間は人目につかない「陰」にあるときにその人の本質が現れます。自分の立場や利益を優先させようとする心、自分を甘やかそうとする心、弱い者をいじめようとする心がもたげてきます。

ところが「陰」に居ても「陽」と同じように誰かが“見てござる”のです。そして悪事をはたらいたり、怠惰な生活を送っているといつかは“バチが当たる”わけです。

だったら他人が見ようと見まいと、陰日向なく生きていこうではありませんか。

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