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バイマンスリーワーズBimonthly Words

カモの水かき

2002年11月

3年連続のノーベル賞、それも1年で二人の受賞というニュースは沈滞ムードの続く日本に、
久々の明るいムードをもたらしました。

物理学賞の小柴昌俊氏、翌日には島津製作所の田中耕一氏が化学賞を受賞、
各マスコミはトップでこのニュースを扱い、関係者はもちろん日本中がよろこびに沸きました。

世界最高の栄誉を受けるという明るいニュースが、失いつつある日本人の自信を取り戻し、
また、勉強離れが進む子供達に夢と希望を与えるきっかけになって欲しいところです。

それにしてもマスコミの力は一夜にして大スターを作ります。

とくに普通のサラリーマンだった田中氏の場合は、驚天動地、まさにシンデレラ。
受賞の日から、どこに行っても拍手とカメラフラッシュの連続。
輝かしい大輪の花が咲きほこっているようでした。

ところが世の中には「表」と「裏」があります。
このような世界レベルの研究成果を挙げる人達は、華々しく賞賛されるその陰で日々、
私達の想像を超える努力と苦労を続けていたのです。

表と裏は研究者の世界だけではありません。

マラソンの高橋尚子、イチローをはじめとする大リーグ選手、中田・稲本などのサッカー選手、
アジア大会でメダルを獲得した多くの選手たち…。

これら世界レベルのスポーツ選手達、また、芸術家、音楽家なども同じく、それぞれの道で
活躍する人々は、華々しい表舞台とは裏腹に陰で想像を絶する努力を続けているのでしょう。

これぞ“カモの水かき”… 水に浮かぶカモはのんびりしているようでも、
水面下では絶えず足で水を掻きつづけているように、
この世で活躍している人は外見の雰囲気をよそに、陰では人知れぬ苦労を続けているものです。

社長と経営者は違う

もちろん、経営者も「カモの水かき」を実践しています。

一般に「社長」という職業は、いいスーツを着て高級車に乗り、裕福な生活をしている人
というイメージがあります。

でも優秀な社長ほど表舞台とは裏腹に、その陰では己を高めるための「努力の水かき」を
懸命に続けているものです。

京セラのビルを超え、京都初で高さ100メートルの超高層の本社ビルを建築した
日本電産の永守重信氏は、とにかく一番になることを目指して
今も全速力で走りつづける経営者です。

一介の技術者から石川島播磨重工業や東芝の社長や会長をつとめ、元経団連の会長にまで登りつめた
土光敏夫氏は朝4時に起床、夜11時には就寝という5時間睡眠を70年間続けた経営者でした。

朝、目が覚めると寝床の中でまず本を読む。
とにかく多読で技術、経済、宗教、歴史など実に幅が広い。
中小企業の中にもこれに近い努力をしている経営者はわんさといます。

職業柄、私はそんな経営者をたくさん知っています。
誰よりも早く出勤して決済業務をこなし、現場指導、社内の会議、業界の会合など
精力的に仕事をこなし、もちろん、毎日の勉強を欠かしません。

ところが一所懸命に水かきを動かしているが、残念なことに空回りをしている経営者もいます。

まず、表面的には余裕の経営をしているように振る舞うが、じつは毎月の資金繰りに追われてばかり
の経営者。この資金繰りの苦悩はいつまで続くのか、いつになったら好転するのか…。

懸命に水かきをしているのに前に進めません。そしていつかは、水をかくことに疲れ、
力尽きてズブズブ…と沈んでいくのです。

また、後継者としてトップの椅子に座り、業界や取引先との面談や会合、社内の会議や決済業務は
自分なりに精一杯にこなしているが「これでいいのだろうか…」と矛盾を感じながら日々を過ごして
いる社長もいます。

当面、会社が潰れるようなことはありませんが、こんな状態ではリーダーシップの限界がきて
内部から崩壊していきます。

このように、社長の業務はしているが経営をしていない、社長ではあるが経営者ではない、
という人が少なくありません。

社長と経営者は違います。
名前だけの社長には誰でもなれますが、経営者には使命感、経営技術やリーダーシップなど
その企業に必要な力を備え、磨かなければつとまりません。

カモにたとえるなら、
水には浮くが風の吹くままに流されていくビニール製の“おもちゃのカモ”が「社長」、
余裕の雰囲気を保ちながらも水面下では絶えず水かきを動かしている“ほんもののカモ”が「経営者」
といったところでしょうか。

炎の人 松本清張

私は作家・松本清張氏の作品に触れるたびにしばしば感動します。

「砂の器」「点と線」などの推理小説が有名ですが、氏の作品は時代小説、歴史小説、
自伝・私小説、さらに考古学や古代史のジャンルにまで広がっています。

清張氏が小説を書き始めたのは40歳で、本格的に文筆家として世に出たのは
なんと50歳をすぎてから。そして82歳で亡くなるまで恐るべきエネルギーとその持続によって
各ジャンルの作品を創造し続けました。

昭和34年50歳の時、執筆量の限界をためそうと連載だけでも7本という驚くべき仕事量。
52歳の年には、じつに25の作品を発表しています。

清張氏は家が貧しいために、小学校以上の学校に行けなかった。
給仕をしているころ、元の同級生が中学校の制服を着て歩いているのに出会うと、
思わず物陰にかくれてやりすごしたといいます。その後、印刷工、新聞社の広告部員となっても
学歴のない氏は上役から隔てられ、下積みの人間として扱われました。

清張氏が本格的に筆をとる50歳までは、学歴のないことにたえず劣等感を感じながらも、
学歴にものをいわせる人々の間で、水面下での努力を積んでいたのです。

このような下積みの経験が氏の人生を貫くテーマを構築し、やがてやって来るであろう出番に向けて
エネルギーを蓄積していったのです。このエネルギーは50歳を越えて一挙に噴出し、命あるまで
猛烈に筆を執り続ける力となりました。

清張氏が死去した時、小説家・森村誠一氏が次のような追悼文を書いています。

「作品の質・量もさることながら、清張氏の偉大さはその姿勢にあるように思う。
氏は常に反体制的な姿勢を貫いてきた。作家は体質的に反権力であらねばならない。

国民作家として、これほど偉大な貢献をしながら、お上からこれほど無視された作家も
少ないだろう。権力の庇護を受け、お上に迎合した御用作品ほどつまらない作品はない。
面白い小説は本質的に危険を孕(はら)む。つまり氏はお上にとって危険な作家であったのである。
お上から顕彰されないことが氏の栄光であり、作家としての本来の姿勢を貫き通した。」

“お上にとって危険な作家”… つまり氏は、文化勲章をこえるほどの貢献をしながら、
お上からは無視をされ続けたが、当人はそのことを誇りにしていたわけです。

勲章の対象にならないことが逆にエネルギーとなっていた氏の姿勢は、ノーベル賞や勲章とは
縁のない私達に勇気と感動を与えてくれます。

カモはえらい!

しかし、土光氏や清張氏はどうしてとてつもない仕事量、勉強量をこなし続けることが
できるのでしょう。とくに清張氏は50歳を過ぎて30年余りものあいだ、質・量ともに優れた
作品を創造し続けることができたのでしょうか。

清張氏が40歳の時に初めて発表した作品『西郷札』を書いたのは、賞金目当てでした。
そんな生活のための活動が10年ほど続いたようですが、氏はそこで終わる人ではありません
でした。敢えて執筆量の限界を試そうと、自分に強烈な負荷をかけた50代前半、
氏は腱鞘炎(けんしょうえん)にかかっています。

己を極限状態においたこの時期が転機です。

清張氏は己の極限状態を超える仕事量をこなすことで、奥底に沈んでいた潜在能力を引きずり
上げたのでしょうか。そのあとは別世界の人になっていきました。

別世界とはどんな世界か?それはこれまで辛い、苦しい、と感じていたそのことが
そのまま楽しく感じる世界なのでしょう。

そういえば、マラソンの高橋尚子が、「楽しく走れました」というコメントを残していたことを
想いだしました。「あんなに苦しいスポーツなのに楽しいなんて…」と思ったものですが
本当にそうなのかも知れません。

私はこの原稿の結論に行き詰まり、実際に池に泳ぐカモを見に行きました。
水の上なので水かきの様子は見えませんが、のんびりとした優雅な姿がありました。
水の下では絶えず水かきを動かしているはずなのに、そんなことは一切感じられない余裕のカモ。

水面下での努力など、どこ吹く風の様子です。

そこで気づいたのです。

私などはチョッと辛いことがあるとガアガアとわめき散らし、がんばっていることを
誰かに認めて欲しいので騒ぎ立てます。そうではなくて、辛いとか楽しいとかを並べる前に、
カモのように人に見えないところでまずやるべきことをやり、それをあえて表に出そうとせず、
やり続けていくことが大事なんだ・・・と。

カモはえらい!

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