Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

トップページ > バイマンスリーワーズ > こころは心でしか交換できない

バイマンスリーワーズBimonthly Words

こころは心でしか交換できない

2004年09月

日本のプロ野球界が大ピンチに陥っています。

大阪近鉄とオリックスの合併話はパ・リーグの存続から1リーグ制への移行問題にまで進展し、それは球界だけの問題ではありません。年間40億円の赤字を出す大阪近鉄はオーナーにとっては価値がないと判断されたのか、近鉄がやるなら今がチャンスと他の球団でも合併や身売りの話が進んでいます。

日本のプロ野球は母体企業の広告媒体であり、多少の赤字は広告費として扱われてきました。しかし、今回の問題は存在意義そのものを球界全体で見直す機会になっています。

たとえば選手の態度や発言内容は子供達にも大きな影響を与えます。FA(フリーエージェント)の権利を楯に年俸をつり上げる行為はあまり感心できません。選手寿命が短いこともあるでしょうが、数億円の年俸をとって一打席で数百万を超えるというのはやっぱり異常です。チームプレーが優先されるスポーツなのに、選手達が個人主義に傾いていくのは残念でなりません。

また、各人が結集して選手会を結成していますが、これは経営側の不当な扱いを牽制(けんせい)するのが目的で企業の労働組合のようなものです。球界が健全に発展するための必然な姿だと思いますが、経営側だけでなく選手側にもそろそろ意識改革の時期がきているようです。

いずれにせよこのような問題は、オーナーと選手達の間に信頼関係が希薄であることを証明しています。こんな関係で球団への愛着心が育つとは思えませんし、赤字になるのは当然でしょう。

従業員が組合を結成して経営側との利害調整を図りながら企業を維持するような時代ではありません。なぜなら従業員と経営者が内に向いて対立している間に、投資系や金融系の企業に会社ごと乗っ取られたり、売り飛ばされたりすることがあるのです。

それはまさに「漁夫の利」です。鷸と蛤が争いに夢中になっている間に両方とも漁師にとられたという故事から、二人が利を争っているうちに第三者に横取りされることを戒めた言葉です。経営者が従業員に不信感を抱き、従業員もその不信感に反応して内側にエネルギーを費やしていたら、いずれ共倒れになるでしょう。

同族会社と同族経営は違う

近年の外資系の投資家の動きは、公開企業はもちろん、非公開の中小企業でも注意しなければなりません。それはタダ同然で債権や株式を買い取り、あらゆる手段を使って価格をつり上げたのちに売り飛ばす、というやり方で“ハゲタカ外資”と呼ばれています。

外資系の投資家の動きは「投機」であって「投資」ではありません。本来の投資家は、その事業が発展することの価値を見出して資金的バックアップを辛抱強く行うものでした。そしてこの行為への経営側の感謝のしるしが配当なのです。そこには実際に経営をしない株主が口を突っ込まないという不文律(ふぶんりつ)があり、お互いの信頼関係が前提にありました。

そういう意味では、投機を目的とせずに事業の発展を信じるオーナー一族が50%以上の株式を所有する「同族会社」は、じつに安定的な企業運営スタイルといえるでしょう。

ところが「同族会社」には弊害も多いのが現実で、プロ球界で起こっている問題と酷似しています。

それは「思い通りに動かない」「指示を待つだけで自分では考えない」といった社員への不満をオーナーが抱くことから始まります。ところがこの不満は、社員の側ではなく、会社と社員の関係に対するオーナーの誤解が原因しているケースが少なくありません。

一般にオーナーは「社員をいかに働かせるか」と考えがちになり、なかには社員を使い捨ての道具のように考える人もいます。いわゆる“搾取”の考え方です。

このような考えはあらゆる場面を通して社員に伝わり、それを感じた社員はいかに自分の利益を守るか、という個人主義に変質します。両者がこのような関係では、人が育たないのは当然でしょう。

企業の合併や身売りが盛んに行われる時代には適したスタイルである同族会社に、人の問題や内紛が絶えないのはなぜでしょうか。

それは一族が50%以上の株式を所有する「同族会社」としての安定感はありますが、じつは一族だけで経営をする「同族経営」には限界があるのです。

オーナー自身に充分な経営能力が備わっておれば「オーナー経営者」として君臨すればいいでしょう。所有者と経営者が兼任しているわけで、創業経営者はたいていこの形になります。

ところがオーナーには、所有者 = 経営者 という錯覚の論理があるのでしょうか、オーナーに経営能力がないのに経営者として振る舞って失敗する中小企業が少なくありません。

複雑で変化の激しい近年では経営者が判断ミスを犯す可能性は格段に高まっています。ですから、オーナーに権力が集中する経営ではそのリスクを一挙に背負うことになるのです。

全社員が経営に参画する

そのリスクは子供や親族への世代交代でさらに増していきます。会社の所有権だけでなく、経営権を引き継ぐ後継者に先代社長を超える能力があればいいのですが、そうでなければ意思決定のレベルは極端に低下します。そこに同族支配の論理で権力のバトンタッチが行われると、社員の士気は大幅に低下し、人が育ちにくい風土が横たわります。

ここで同族会社の形態をとりながら、同族経営から脱皮することが重要なテーマになります。

元来、人間は命令されることを嫌い、自分が主体となって動くことを好みます。ですから、他人に命令されるのではなく、自分の意志で活動するような環境をつくるのです。

そこで、まず親族以外の人を経営陣に加えて意思決定に参画させることです。もちろんただのお飾り幹部では意味がありませんから、充分な経営者教育と日常業務の権限を与えます。

そして次に経営情報をオープンにして、全社員が経営に参画できるようにします。

従来、オーナーとその一族が握っていた経営情報と意志決定の権限をこのような形で開放することで、非公開の企業であっても意思決定の過ちを一般社員がチェックできるようになり、全社員が主体的に活動する環境が出来上がります。

ところが、オーナー側の努力だけで問題は解決しません。

オーナーが社員に協力するなら、社員も経営に協力する必要があるのです。

そのために幹部・管理者だけでなく全社員が経営に明るくなければなりません。たとえば月次決算をみて問題点が指摘できる程度の力はいるでしょう。でなければ経営情報が開示されても、誤解を生むだけです。またお客様を満足させて、企業間競争を勝ち抜くにはどんな活動をすればいいのか、といったことを考えるマーケティングの力も必要でしょう。

現場に働く人々が自分に与えられた仕事だけをするのではなく、経営者意識をもって動かなければやっていけない時代になっているのです。

人のこころはお金で買えない

資本主義社会においては、資本家、経営者、労働者のそれぞれの利害が相反する関係にあります。

資本家は経営者に儲けを要求し、経営者は労働者に高度な労働を要求する。労働者は経営者に高い賃金を求め、経営者は資本家に対して資本の安定を求めるわけです。

このような資本主義の矛盾を解決するシステムとして、マルクスなどの思想家によって社会主義が台頭しました。ところがソビエト(ロシア)では新しい特権階級ができ、それが労働者を搾取したために、資本主義の労働以上に単調で苦しいものになりました。結局、権力者によって資本主義以上の搾取が行われたためにソ連や東欧の社会主義国家は崩壊したのです。

そこで社会主義がダメになったのでやっぱり資本主義がいいのか、といえばそうではありません。これまでのような資本主義思想による企業運営では通用しない時代になっています。

それではどうすればいいのでしょうか。

それは社会や組織を運営する仕組みの問題ではなく、一人ひとりの人間の心もちにかかっているのではないでしょうか。

まず資本家・経営者・従業員という利害の対立する人々が、相手の立場になりきることが必要です。従業員は経営の難しさを理解し、経営者も資本家も現場労働の苦しさを理解する。経営者も従業員も、株式を保有してオーナーの心もちを理解する。このようにして、それぞれの壁を取り払い、お互いの立場を理解できる環境を作り、自分の役割をまっとうすることが大切ではないでしょうか。

ですからこれからは労働者とか従業員といった表現はやめて、経営者やオーナーも含めて“社員”と呼んだらいかがでしょうか。そんな社員たちが一丸となって力を結集しなければ、外からの圧力や競争には打ち勝てない時代なのです。

そして、それぞれの社員が資本や儲けや賃金といった「お金」で繋がっているあいだは本物ではありません。お金での繋がりはお金がなくなった時にはバラバラになり、最後には争いに発展します。

人と人とは“こころ”で繋がっていることが大切です。

繋がるためには相手のこころを掴んで自分の心の中に入れなければなりません。しかし相手のこころはお金では買えません。こころは心でしか交換できないのです。

じつは“人のこころを掴む手”は私達にはひとつしか与えられていないそうです。人のこころを掴もうと思うなら、自分の持っている心、つまり己の欲望を一旦捨ててみましょう。そうすれば相手のこころが自然に入ってきます。

現実は己の欲望を捨てるなんてそう簡単にできるものではありません。ならば己の欲望をいったん横に置き、相手の欲望を優先させた後で、もう一度見つめることはできないでしょうか。

ああ、人をまとめることは、何と単純なことであり、そして何と限りなく難しいことなのでしょう…。

文字サイズ