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バイマンスリーワーズBimonthly Words

竹に上下の節あり

2008年03月

「江戸しぐさ」なるものが見直され、静かなブームになっています。
江戸しぐさとは、「商人しぐさ」「繁盛しぐさ」とも言われ、江戸に集まった商人が工夫をして築き上げた、
人間関係を円滑にするための精神を具体的なパフォーマンスとして表現したものです。
いくつか例をあげてみましょう。

肩引き…狭い道ですれ違うとき、肩を引き合って胸と胸を合わせる格好で通り過ぎること。

傘かしげ…雨のしずくが周りの人にかからないように、傘をかしげ合って往来すること。

こぶし腰浮かせ…乗合い船では腰の両側でこぶしをついて軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めて一人分の空間を作るしぐさのこと。

うかつあやまり…足を踏まれたら「うっかりしていました」と謝る。迂闊とは注意が足りず、うっかりしている様。
トラブルを事前に察知し対処できなかった自分の迂闊さを反省する。

時泥棒をしない…突然の訪問や遅刻で相手の時間を奪うのは”時泥棒”である。

全国から様々な人が集まった江戸で商売を繁盛させるには、知らない者同士が礼儀正しく、しかもプライバシーを
侵さずに人間関係を保つノウハウが必要だったのでしょう。
江戸しぐさは、現代社会でいうマナーや作法とは違い、人間は誰でも平等、互角の「相手尊重主義」の精神であり、
思いやりを態度に表現したものなのです。
(参考:商人道「江戸しぐさ」の知恵袋 越川禮子著 講談社+α新書 )

現代の日本でも異業種からの転職者、派遣社員やパート社員、時には外国人など、価値観や生活習慣がまったく違う
人と一緒に仕事をすることが増えてきました。

そんな時は、初対面の人に「年齢」「職業」「地位」を聞いてはいけない「三脱の教え」があります。
その趣旨は「相手に失礼にあたる」ということよりも、余計な情報が入ると色眼鏡で見てしまうので、相手の素顔や
才能が見えなくなることを戒めています。
江戸しぐさには、赤の他人や社内の水平関係にある人と付き合うノウハウがいっぱいあります。

お互いの能力にブレーキがかかる「面従腹背」

もう一歩突っ込んで、垂直関係、つまり上司・部下の関係を考えてみましょう。
「『おはよう』には『おはよう』」という上下関係の心構えも、江戸しぐさにはあります。
現代社会では、目下が「おはようございます」と挨拶すれば、目上は「おはよう」と返事をするのが一般的。
ところが、たとえこちらが目上でも、相手に「おはようございます」と言われたら、「おはようございます」と、
同等の言葉で返すのが決まりだったといいます。

なるほど…とは思いますが、はたして現実はどうでしょう。
年齢や社歴が自分よりもずっと浅い人が、上司として、時にはトップに就任することがあります。
上下関係において地位と年齢が逆転すると、口先では相手を尊重した挨拶をしても、腹の底から納得した接し方が
できるでしょうか。

まして、あなたから見て上司の人格が認められない、どうしても受け入れられないタイプの人物だったら、
あなたはどのように接するでしょうか?
態度は服従していても内心は反発している”面従腹背”の上下関係は、多くの組織に存在します。
上司・部下共に持てる力が発揮されない不完全燃焼の状態で、何とかして解消したい問題です。

企業の組織は、年齢としての上下、社歴による新旧、職種による重さと軽さ、そして職位の上下関係など、さまざまな
人間模様が絡み合って形成されています。
このように複雑な人の問題を解決するには、どうすればいいのでしょう?
そんな時に先人の教えが役に立つのです。

まずは、先人の声を敏感に感じる感性を磨き、深く理解する心を養いましょう。
先人達は、江戸しぐさにとどまらず、和歌や俳句、ことわざなどを通じて、今を生きる私達のために大いなる知恵と
生きる勇気を与えてくれています。

竹が強いのは節目ごとの空間があるから

禅語の中にも複雑な人間関係をひも解くヒントがあります。

 松無古今色 ~ 松に古今の色なし ~

松には古い葉、若い葉(古今)があってそれぞれ交替するが、春夏秋冬を通じ、
また幾歳月を経ても常に青々としてその色が変わることはない。
つまり、古葉も若葉も”一色平等”であることを教えています。

「松に古今の色なし」とは若い社員もベテラン社員も、年齢や社歴の違いはあっても、
その役割や命においてはみな平等であり、そこに差別はないという意味に理解できるでしょう。
人間尊重の精神を見事に言い表している言葉だと思います。

ところが「松に古今の色なし」は、これで終わっていません。
対句があるのです。

   竹有上下節 ~ 竹に上下の節あり ~

松には、古い葉、若い葉(古今)が歴然としてあるが、竹には、上下の節がはっきり存在し、
上下の区別がある。 節操の無い平等社会は、大自然の営みに調和しない。 家庭には親と子の関係が歴然として存在し、
社会においては長と幼の節目の関係があって調和する、そんな意味の教えです。

自分よりも若く経験の乏しい経営トップがやってきたとしましょう。 長幼という関係では、あなたが上位に位置します。
つまり、若竹が土中から生えてくるように、若い人は常に先人の下に存在するわけです。
よって年上のあなたは人生の先達であり、職場経験の先輩としての案内役ができなければなりません。

ところが竹に節目があるように、それぞれの「役割」における上下の区別は厳然と存在します。
経営トップは、どれほど若くても会社全体に対する責任を負う最上位の役割があり、 経営幹部はトップの方針に沿い
ながら、トップを下から支えるという役割があるのです。

竹は根っこから先端まで一本の繊維でつながっていますが、 節目を境にしてそれぞれに空間をもっています。
それは、上からの圧迫に屈せず、下からの影響も受けない、独立した空間なのです。
竹が強くてしなやかなのは、節目を境に「区別」があり、 そこに独立した空間が存在するからなのです。

上下の関係に「区別」はあるが、「優劣」はない

組織の人間関係で勘違いしてはならないことがあります。
組織における上下関係とは、上下の「区別」であって「優劣」ではないのです。
上に立つ人が優秀なのに越したことはありませんが、優秀だから人の上に立っているとは限りません。
そういう「役割」をいただいた、にすぎないのです。
下に位置する人は、下から人を支えるという「役割」をいただいた訳で、優劣の結果ではないのです。
ですから、劣等感を抱く必要はまったくありません。

後継経営者のうち、親(先代経営者)の存在を乗り越えられずに悩む人が少なくありません。
それは、経営者の上下関係を「優劣」で見つめると劣等感が深まるばかりですが、
上下の「役割」として考えると、親との関係は乗り越える対象ではないことが分かります。

国際日本文化研究センター名誉教授の山折哲雄氏が力説されています。
日本人の心の荒廃をつくり出した原因の一つに、平等な人間関係や個性を重視した戦後日本の
教育のあり方があるというのです。

「水平や平等な人間関係ばかりを強調し、未熟な者が経験者に学ぶという本来あるべき垂直軸を
通すことを怠った」

その結果として、
「水平軸の横並びの関係は嫉妬感情を助長させ、人々の心の中に殺意を蓄積させるようになった」
                       (西京都政経文化懇話会:京都新聞より)

近年になって親が子を、子が親を殺めるという凄惨な事件が後を断ちません。
このような社会現象は、本来は強い上下関係であるはずの親子の絆が、だらだらと横並びになって
しまっていることが原因しているのかも知れません。
企業においても上司と部下、師匠と弟子、ベテランと若手といった垂直の関係を”強固でしなやか”
なものに作り直す時期がきているのではないでしょうか。

江戸の人達は、自分を磨き、己の見識を尊重し、相手を思いやることを第一義としたという。
そして、相手を尊重し、身分や血筋にとらわれず自由な発想が出来る人間を「江戸っ子」と呼んだ。
江戸時代という封建制にも拘束されず、自由闊達に生きた江戸っ子の生き様が輝いてみえます。

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