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株式会社新経営サービス

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バイマンスリーワーズBimonthly Words

道具に命あり

2008年07月

「教えるためには、教えてはいかん。ウチは言葉では教えません。お手本を見せるだけ。
現場で作るそのままを、手本として見せとけばいいんです。」
宮大工の小川三夫さんがトヨタ自動車の最上級の技能者に対して、このように教え諭したそうです。
若い人に技術を教えるのが難しいので、指導方法を宮大工からヒントを得ようという研修の場のこと。
小川さんは、法隆寺金堂など多くの堂塔を復興した最後の宮大工棟梁、西岡常一氏の唯一の弟子。

「人を育てるには、自ら気づき、学んだことでないと身につかない。誰かに教えてもらおうと思うのが間違いで、
言葉や頭で分かった気になるのが一番ダメです。
学ぶ雰囲気の中に置いておけば、放っておいてもちゃんと学んでいきます。」
具体的にはどうすればいいのか?
それは「研ぎ」にすべての基本があるという。

小川さんが西岡棟梁に弟子入りした最初の一年間は、テレビ・新聞・雑誌は一切禁止。
ひたすら「刃物を研げ!」と言われた。
自分で研いだ刃物があれば、その刃物を十二分に生かしたい、いい仕事がしたい、と思うようになる。
研いで、研いで、研いでいくとだんだん嘘がつけなくなる。

「道具を見たら腕がわかりまっせ。一番大事なものをどう扱っているかをみれば、その人の仕事に対する心構えが見えますな。」
こんな西岡思想が、弟子の小川さんを通じて今のトヨタに生きているのです。
工場の技術者は、機械・設備や工具をどのように手入れしているのか?
料理人なら包丁を、理容師ならばハサミやカミソリをどのように扱っているか?
営業マンになれば、営業車やスーツに靴といったところでしょうか…。
その道のプロとしての腕前は、一番大事なものをどう扱っているかに表れるという。

暗黙知の奥に感動の世界がある

近年、「暗黙知」と呼ばれる研究が行われています。
言葉や図式によって表せる「形式知」に対して、言葉では説明できない智慧のようなものが「暗黙知」。
それは「暗黙に知ること」と字の通りに理解したほうが分かりやすいかも知れません。

初めて自転車に乗った時のことで考えてみましょう。
補助輪をつけ、ペダルとハンドルを操作する方法ならば、説明を聞いただけで理解できます。
これが「形式知」です。
ところが補助輪をはずし、倒れずにハンドルを握る方法となると言葉だけでは理解できない。
何度も倒れ、時にはケガをして身体全体を使わなければ、自力運転のコツはつかめないのです。
それは”方法を理解する”というよりも”感覚をつかむ”という表現が近いでしょう。
これが「暗黙知」。

これまでの日本企業は、ベテラン社員がもつ”コツ”や”勘”のようなものを大切にして、それを代々受け継いできました。
残念ながら、そのほとんどが”背中を見て覚えろ”式で分かりにくく、習得までに時間がかかるので、非科学的で非効率
として敬遠されてきました。
ところが、ここにきて産業界の最高峰トヨタが宮大工の教え方の良さを認めたのです。
それは”背中を見て覚えろ”式の「暗黙知」による指導が、「形式知」を越えたことを意味します。

そして、暗黙知の教えを体験すると、その奥に”悟り”のような感覚があることに気づきます。
乗れるまでの自転車は、思うように動いてくれないただの物体。
補助輪がはずされ、誰も手を貸さなければ、孤独感が増してきます。
ひたすら自転車と悪戦苦闘した末に、やっと自力で乗れた瞬間のあの感動…。
それが、「私と自転車が一体になっている!」という感覚なのです。

自転車とからだが一体になった後は、ガラッと世界が変わります。
いろいろなところへ自由に行ける楽しみがあり、
何よりも、思い通りにならなかった自転車と共に走る生活そのものが楽しい…。
そんな世界が広がっていくのです。

社員を見れば、経営者の心構えが見える

現役時代の長嶋茂雄は、武士が刀の手入れをするように、
バットの芯の部分を強くするため、毎晩木目をビンでこすってから、枕元に置いて寝たという。
大リーグのイチローは、15年間使っているバットのモデルを手にした瞬間、
「こいつと結婚する!」という感覚だったと述べています。

この感覚は、道具を”使いこなす”という意味ではありません。
“使いこなす”には、奢りの意識が漂っており、やはり”一体になる”という感覚の方が近い。
“道具と一体になること”が、”コツをつかむ”ということであり、
これが、”悟り”につながっていくのかもしれません。

道具には、機械や設備や車などの無機質なものから、
競走馬などの動物や植物など、命をもったものもあります。
使い手にとって、すべての道具に命が宿っている。
そこには、日本に古来より存在する”八百万の神”という思想に相通ずるものを感じます。
さあ、それでは企業の経営者にとって最も大切な道具とは何なのか?

それこそが「社員」ではないでしょうか。
社員が”道具”という表現は誤解を招くので、もう一度確認しておきます。
“使い捨ての消耗品”のように社員を扱い、利益の手段と考える経営者はいつの時代にも存在します。
「道具を見たら腕がわかりまっせ。一番大事なものをどう扱っているか…」
と、西岡棟梁が言う”道具”のところを”社員”に置き換えると本質が見えてくるでしょう。
社員とは、縁あって一緒に仕事をし、志を共にする存在であって、使い捨てではありません。

経営道は、日々が修行の真剣勝負

日本の歴史上、魂の込もった最も精巧な道具といえば、日本刀。
その日本刀を道具とする、わが国の武士階層に発達した道徳が「武士道」です。
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」
という葉隠の精神に代表されるように、武士道とはいかにして相手を倒すかという方法論ではなく、
儒教思想に裏づけされた、武家社会を維持する精神的支柱であったのです。

経営も武士道に同じく”経営道”という修行の道を歩いていると考えればいいのです。
経営に最終ゴールはありません。
今の瞬間、瞬間がゴールそのものであり、一瞬でも気を緩めれば倒産する、
という危険性をはらんでいるのが中小企業の経営。

“道”の世界では、勝つことを強く意識しつつも、そこに至る勝ち方・負け方が重要になります。
功をあせって力んだり、相手を軽んじて手を抜くことがあってはならない。
常に命がけで、人生を賭した真剣勝負として立ち向かうことに重きが置かれる。
この思想は、剣道や柔道、茶道や華道といった世界にも共通するものなのです。
経営が”道”ならば、そこで不可欠なのが”道具”です。

道具という言葉には”その道に一体となって備わっているもの”という意味があるのでしょうか。
社員が経営者の手足となって働いている状態は本物ではありません。
これは、経営者に”やらされている”だけで命が宿っていない。
経営者はその志を魂に込めて社員の中へ注入し、
その社員が”自分の意思として実行する”というレベルになって初めて一体感が生まれ、本来の能力が発揮されるのです。

そのためには、ひたすら”研ぎ”を続けましょう。
経営者自ら、社員を研いで、研いでいけば、経営の”コツ”がつかめるかも知れません。
では、経営者が行う”研ぎ”というのはどういうことなのか?
「誰かに教えてもらおうと思うのが間違いで、言葉や頭で分かった気になるのが一番ダメです。」
小川さんは、経営者にも通じるヒントを残していました。

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