Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

トップページ > バイマンスリーワーズ > スチュワードシップ

バイマンスリーワーズBimonthly Words

スチュワードシップ

2009年09月

このお便りが届く頃には、政権が交代しているのでしょうか。
主権政党が代わることで、本当に良い政治が実現するなら歓迎ですが、
実際は二大政党を裏で操る勢力が、日本を動かしているように思えてなりません。
権力との癒着を好む”政治屋”ではなく、使命感に目覚めた”政治家”の登場を期待します。

それはさておき…
“スチュワードシップ”という言葉に出会いました。
「財産の預かり人」とか「天からの預かりものの番人」という意味で、
ファミリービジネス(同族企業)のコンサルタントである武井一喜氏が、
欧米で長期的に成長する同族企業の思想として紹介されました。

「神から委ねられた恵みや財産に対して、責任をもって管理すること」
というキリスト教の考えが根本にあるそうです。
仏教界でも、弟子が寺の住職をする時の「法演の四戒」があることを以前に紹介しましたが、
スチュワードシップと同じような思想だと思います。
(BW68 2002年3月 勢い使い尽くすべからず)

「財産の預かり人」とは、投資家の財産を預かる経営者が、
投資家の利益のために努力せよ、という欧米の会計学的な意味ではありません。
2代目3代目が社長の座に着くと、会社が自分のものだと錯覚し、無謀な経営に走る人がいる。
多くの会社が3代目あたりで倒産するといわれるのは、こんな意識から起こるのかも知れません。
“会社はご先祖様から預かった財産であって、決して自分のものとは思わないように…”
スチュワードシップには、経営を継承するトップに対するこんな願いが込められています。
しかし、スチュワードシップの本質は、後継者だけを意識したメッセージではないようです。

我が物意識は判断ミスを招く

「日本漢字能力検定協会」(以下漢検協)の前理事長父子による不正取引問題は残念でした。
漢検協が75年に任意団体としてスタートした時の受験者は、わずか670人。
前理事長は当時の文部省に働きかけ、学校を販売拠点に、教師を営業マンに育てていく。
年末には『今年の漢字』を募集し、清水寺の舞台で貫主に揮毫をもらうマスコミ戦術。
こうやって280万人もの受験者から収入が転がり込む事業を作りあげたのです。

資格検定や教育ビジネスの成功には、国からのお墨付きがカギを握ります。
「財団法人」の認可を取り付けた漢検協は、公益目的に設立されたのではなく、
前理事長が考えた事業を成功させるために、財団法人という”冠”をかぶせたわけです。

そして、長男も経営に加わり順調に拡大を続けた頃に、過ちを犯してしまう。
ファミリー企業に利益を分散させる、民間企業で見かける手法に出ました。
ここで財団法人として襟を正した経営に転換すれば良かったのですが、
文科省の指導を受けた後も、不透明な資金流用を続けたことが命取りでした。

「漢検」と呼ばれる国内最大の検定ビジネスを築いた”驕り”なのか、
創業者の晩節を汚した経営判断には、何とも惜しい。

一般に中小企業のオーナー経営者は、「自分の会社は、自分のものだ」と思っています。
特に創業者は「我が物」の意識が強く、「わがまま」な人が少なくありません。
じつは、この”我が物意識”こそが、強いリーダーシップの源泉であり、
柔軟に組織を運営する力となるわけで、非常に重要な意識なのです。

ところが、ひとつ間違えると「我が物意識」は判断のミスを招き、
「わがまま」は、周りの人の忠告を聞かない人間にすることも事実。
創業のオーナー経営者こそ、スチュワードシップが必要ではないでしょうか。

ビジネスマンは一段上の意識で仕事をする

それでは部門を預かる幹部にとってスチュワードシップは必要なのか?
中途半端なスチュワードシップは、上司の方針を伝えるだけで、
雇われ根性の染み付いた「ただの番人」になってしまう。

天台宗座主であった山田恵諦師が、ビジネスマンへのメッセージを残されています。
「兵役の頃、西尾寿造中佐(後の大将)が来られたので、『人生航路の前進理念を教えていただきたい』と質問すると、
こんな答えが返ってきた。
『見習士官になった私は、中隊長はどんな仕事をするのか、理想的な中隊長はどうあるべきか、そればかりを研究した。
中隊長になったら大隊長を、大隊長で連隊長、連隊長では師団長をと、次のポストの研究をする。その地位についてから、
何をすべきかを考えていたら遅いんです。』 私はすっかり感心して肝に命じた。 」

ビジネスにおいても同じこと。
一般社員は課長の意識で仕事に取り組み、
課長になったら部長の気持ちで取り組んで、
部長になったら社長になったつもりで仕事をせよ、ということでしょう。

そう、幹部社員は社長から部門を任されている、という意識ではなく、
全社のトップとしての意識をもって部門の経営に取り組めばいい。
それは外国に行って初めて日本のことが分かるように、
社長の意識で仕事をすれば、部門の問題点や解決策がくっきり見えるからです。

社長が”組織のトップ”として活躍できるか否かは、幹部社員にかかっています。
つまり、社長が優秀な幹部を育てるのではなく、
幹部が優秀な社長を生み、育てるということです。
ですから幹部社員のスチュワードシップは、社長と同じところにあるのです。

自分の身体も、自分のものではない

会社とは、いったい誰のものなのでしょう。
オーナー経営者が「会社はオレのものだ」と主張すると、社員の心は離れていく。
かといって、「会社は社員みんなのもの」と言えば、リーダー不在の集団になる。
企業はお客様のためにあるので「お客様のもの」とも言えるでしょうが、 主体者が主導権を失った企業の成長はありえません。

会社の設備や備品、商品やサービスは会社の財産であり、
部門ごとに存在する、顧客や仕入先、技術力やノウハウも同じです。
そんな会社の財産は、経営者、株主、従業員、取引先など、 多くの力の結集であり、誰のものとは特定できないのです。

スチュワードシップの考え方には賛否両論あるでしょう。
会社を、神や先祖から預かりものと考えるのは観念的であり、
自分の会社を、自分のものと考えて何故いけないのかという見解です。

そこで “自分の身体”は誰のものなのかを考えてみましょう。
自分の身体は、自分のもののようですが、自分が創ったわけではない。
では親が創ったのかというと、創る行為はしたが、親が創造したわけでもない。
人間の身体は、見えない存在によって創られ、それを預かっているとも考えられるのです。

会社も自分一人で創造し、成長させたわけではありません。
これからの企業は、単に規模の成長を追いかけるのではなく、
より環境の変化に沿った社会貢献ができるか、という質的成長が求められるでしょう。
だからこそ、大切に預かっている身体と頭脳を鍛え上げ、社会貢献に役立てる。
経営者のこのような行動が”使命感に目覚める”ということではないでしょうか。

文字サイズ