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バイマンスリーワーズBimonthly Words

泥の中の蓮であれ

2010年07月

「こんなにも強く生き抜いた人がいたのだ…」
今から20年近く前、中村久子さんを知ったことは衝撃でした。
きっかけはテレビ番組でしたが、その後も書物や情報を取り寄せて学習し、
逃げ場がない人の”凄み”と宿業の身を引き受ける精神は、
私の心に染み込んでいます。

中村久子は明治30年、岐阜の高山に生まれますが、
3歳のときに特発性脱疽という難病で両手両足を失います。
父親は7歳の時に他界、母あやの厳しいしつけの中で努力を重ね、
無手足で文字を書き、縫い物、編み物をこなす独特の技術を修得します。
20歳で高山を離れ、裁縫、短冊書きなどの芸で「だるま娘」として旅芸人になり、
その後、弟や母と死別、結婚と出産、そして二人の夫とも死別するという、
想像を絶する苦難の人生を辿り、72歳で亡くなります。

「私より不幸な人 そして、私より偉大な人」
ヘレン・ケラーにこう讃えられ、晩年には執筆や講演を行いますが、
己の過去の苦労や努力を、高いところから話している自分の傲慢さに悩みます。
そして、絶体絶命の中で生き抜いてきた自信こそ、己の慢心の正体であったと悟ります。
中村久子という人物は、なぜこれほど強く生き、最高の境涯に到達することができたのか…。

その後、このことは徐々に人々の記憶から薄れましたが、
いじめ、虐待、自殺など、命を軽んじる悲劇は後を絶ちません。
そんな世の中に向け、新たな書物や映画によって彼女のことを紹介し、
生きる勇気と、命の尊さを伝えようとする作品と出会うことができました。
それらの作品は、中村久子の生涯がさらに深いところにあったことを教えてくれます。

厳しいしつけは「鬼手仏心」

中村久子の根本は、母「あや」の中にありました。
母あやの厳しいしつけの下で、血のにじむような努力を続けた久子は、
口と短い腕を使い、縫い物、編み物をこなし、文字まで書けるようになります。
娘が一人でも生きていけるよう、あやは心を鬼にして、厳しく、厳しく突き放したのです。

~鬼手仏心(きしゅぶっしん)~
外科手術は体を切り開き、鬼のように残酷に見えるが、
医師は患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいていることの喩え。
厳しくしつける母は、久子にとってまさに鬼のような存在だったでしょう。
手足のない小さな娘が、一所懸命に針に糸を通し、結び玉を作り、針を運ぶ…。
歯がゆく、もどかしく、母としての本心はどれほど手を差しのべたかったでしょうか。

「親」という字は、木の上に立って見る、と書きますが、そう簡単なことではない。
手を貸す方が簡単で、黙って見守る方が難しく、より深い愛情ではないか。
母あやは、娘の久子がここまで自立した生活ができるようになり、
清らかな心で人生を全うできるとは、夢にも思わなかったことでしょう。

鬼手仏心の思想で人を育てる経営者も少なくない。
経営者は、自ら現場に立って厳しく指導する教育者であり、
転勤や異動を決定し、時には罰則や降格人事を下す裁判長でもあります。
経営者には鬼になった気持ちで、判断や振る舞いをしなければならない時があるのです。

厳し過ぎると信頼関係が崩れ、いつかは組織を去っていく。
かまい過ぎると、自立できない腰の弱い人間になってしまう。
強くたくましいリーダーを育てるのは、なんと難しいことでしょう。
否、そんな人を育てようと考えること自体が、傲慢なのかもしれません。

リーダーは 泥をかぶって 泥になれ

久子は「沖 六鳳」という書道家に書の指導を受けています。
師は見世物小屋での久子に、「泥の中の蓮であれ」と諭しました。
汚れた境遇にあっても、これに染まらず、清らかさを保つことの意味で、
久子は生涯この言葉を深く胸に刻んで生きてきました。

ところが、晩年の久子の言葉によると、もう一段高い所の意味を感じます。
「我が身への侮辱こそ宝であった」
義理の父から、恥さらし、厄介者、と罵られ、
見世物小屋では嘲笑され、座員からのいじめが続く…。
しかし、それらのすべてが、生きる糧となっていたというのです。

蓮の花はきれいな真水から立ち上がってこない。
蓮の花を咲かせるには、どうしても泥水が必要であり、
泥は避けるものではなく、泥に染まってこそ美しい花が咲く…。
久子の心境は、師の教えを超えた高みの世界に到達していたのです。

企業のリーダーは、辛くて厳しい判断をしなければならない時があります。
部下にそれを伝えるには、汚れ役を引き受けなければならない。
周囲の人からは、恨み、つらみ、ねたみ、中傷…など、
最悪の感情を抱かれることもあるでしょう。

自分にまつわりついてくる苦しみや辛さは「泥」です。
企業のリーダーは泥から逃げたり、恐れていてはなりません。
なんと言われようともかまわない、どんな感情でも受けとめる…。
開き直ったその瞬間から、泥はその人を成長させる栄養となるでしょう。

経営者の心労は 泥にかくれて誰にも分からない

京都嵐山の天龍寺には、放生池とよばれる蓮の池があります。
放生池とは仏教の不殺生に基づき、捕らえた生類を放つ池という。
極楽浄土のように咲き誇る蓮の花は、様々な命の泥から立ち上がったのです。

中村久子という大輪の花を咲かせたのは、
「どうしてこんな身体に産んだの」
「なぜこんな身体の私に厳しくするの」
と、恨まれながらも厳しい指導を続けた、母あやの存在でした。

前半生の久子は、冷たい人として母親をみています。
泥の中に埋もれていた母の慈愛に気づくことができなかったのでしょう。
ところが、後には深い御恩に変わり、晩年は悲母なる菩薩のようだと思うようになります。

みごとな書を残した久子は、深い歌も詠んでいます。

この世では この手より他に 手はなきと
短くなれる 手にいいきかす

「中村久子女史顕彰会」会長の三島多聞氏が次のように語っています。
中村久子さんの世界観は「宿業の身を引き受ける」でした。
平たく言えば「現実を引き受けたところにしか人生はない」ということ。
中村久子さんに学ぶとは「障害だけども、よくやった」という話ではないのです。

~現実を引き受けたところにしか人生はない… ~
また何年か引きずりそうな、重いテーマが与えられました。

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