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バイマンスリーワーズBimonthly Words

ならぬ堪忍 するが堪忍

2016年09月

もっとも自然災害の多い国といわれる日本。
地震、津波、台風、洪水などにとことん破壊されても、
先人の人々は将来の希望を見出し、復興を成し遂げてきました。
日本人は元来、どんな苦境に追い込まれても再起する粘り強さがあります。

ところが近年の企業経営者に粘り強さは見られません。
とくに大手上場企業の中に腹の座った経営者が出てこない。
家電や自動車など、日本経済を牽引した人物は戦前生まれであり、
近年の経営者は、株主に阿る短期志向の欧米型経営に傾いています。

創業100年を超えるシャープは粘り強い企業で、
何度か倒産の危機に遭うも、健全経営を続けてきました。
残念ながら近年は経営陣の権力抗争によって内部から崩壊し、
大手電機メーカーで初めて外資企業の傘下に入ることになりました。

シャープの創業者・早川徳次は、壮絶な人生を送った人格者でした。
幼くして養子に出され、継養母から虐待を受け2年で小学校を中退させられます。
不憫に思った近所の人の世話で、錺職人の家で住み込みの丁稚奉公となり命をつなぐ。
奉公先での徳次は、仕事には厳しいが情に厚い主人から金属加工の技術を教わりました。

年季奉公を終え、徳次は一人前の錺職人として18歳で独立。
社名の由来となったシャープペンシルを発明、順調に成長しますが、
関東大震災で工場を焼失し、奥さんと二人の子供を失ってしまいます。
「震災でペシャンコになった私は、強がっていた鼻っ柱が、いっぺんに吹っ飛んだ」

こう語った傷心の徳次に、大阪の特約店から保証金(二万円)の返済要求が届く。
無い袖は振れず、焼け残った機械とシャープペンシルの特許を譲渡し、
大阪で半年間、製造の指導を行うことで返済要求に応えました。
しかし、ペシャンコになっても起き上がる強い人でした。

経営者の出番は 危機の時にやってくる

返済を終えた徳次は、大阪で「早川金属工業研究所」を設立。
新たに米国の鉱石ラジオを研究し、ラジオ事業を柱に成長します。
そして、今度は戦後の大不況で銀行取引停止の直前まで追い込まれる。
が、労組が自ら自主退職者を募り、社員全員の力で危機を脱出したのです。

いつの時代も多くの人が事業を起こします。
しかし、そのほとんどが数年のうちに姿を消し、
何とかやっていけるのは2~3割がいいところでしょう。
その中でも順調に発展するのは、ほんの一握りに過ぎません。

企業経営には波があります。
順調に成長する波と、衰退する波を繰り返す。
経営者の出番は順調な時でなく、危機的な時にやって来ます。
どの企業にもいつか来る、倒産寸前の危機に経営者がどう踏ん張るか…。

~ 堪忍の なる堪忍は誰もする ならぬ堪忍 するが堪忍 ~
昔からよく言われてきた言葉です。
「堪忍」とは、耐え忍び、我慢すること。
誰もができるような堪忍では、何の成果も出ない。
どうしても我慢できないことを我慢するのが本当の堪忍である。

堪忍の精神が備わっていたからこそ、大震災の危機を乗り越え、
戦後の大不況による経営難から脱出することができた。
不死鳥のように這い上がる徳次の粘り強い精神は、
どのようにして培われていったのか…。

徳次の堪え忍ぶ力は、幼少の頃から鍛えられました。
継養母の虐待を我慢し、朝から深夜までの内職の仕事に堪え、
10年間の厳しい奉公生活を耐え忍ぶことで「堪忍力」が鍛えられた。

しかし、奥歯を噛みしめガチガチで堪えてもうまくいかないでしょう。
腹の立つ気持ちをグッとこらえて辛抱するにも限界があります。
人間、無理な辛抱を続けると、心まで折れてしまい、
取り返しのつかないことになるのではないか…。

"どうしても許せない人"を許すのが 真の堪忍

臨済宗の僧侶 仙厓和尚の禅画に「堪忍柳」という作品があります。
どんな風をもサラリと受けてやり過ごす柳の木。
その横には自画賛として「堪忍」の二文字。
堪えがたい風でも逃げる訳にはいかない。

仙厓は我慢できないことを堪忍する方法として、
柳の姿に人生訓を読み取り、禅画にして説いたのです。
柳にたとえた「堪忍」には、もう一つ深い意味があります。
それは、堪えがたい人でも、相手を受けいれ、相手を許すこと。

はらわたが煮えくり返るような卑怯な仕打ちを受けたり、
身勝手な行為で面目を潰された人もいるでしょう。
そんな憎い相手が、なぜか自分の心に棲み続け、
いつまでも嫌な思いをして苦しむのです。

人間の集団である以上、妬みや嫉み、恨みや確執は起こります。
経営者は、そんな「負」の感情に巻き込まれてはならない。
心の中にいる”どうしても許せない人”が許せたなら、
苦しみから解放され、再起が可能になるでしょう。

さあ、”どうしても許せない人”を許すなんてできるのか?
わかっているが、人が許せない自分自身が腹立たしい…。
人が許せず、忘れられない苦しみからどう脱するか。
この答えが人生の”悟り”なのかも知れません。

徳次は、虐待を受けた継養母を、大阪の特約店を、そして大震災を憎まなかった。
自分の性質について徳次はこう語っています。
「もともと私は楽天家の方で、ものごとにあまりいつまでも拘泥して、
くよくよする性質ではない。忘れっぽいし、いつも明るく笑っていたい人間だ」

楽は苦の種 苦は楽の種

~ 気に入らぬ 風もあろうに 柳かな ~
仙厓の「堪忍柳」にはこんな句が添えてあります。
恨むこと、逆らうこと、忘れることもできない柳の木。
目の前の試練に対し、逃げずに生きる柳の姿に教えられます。

しなやかな柳の枝は、しっかりして折れません。
“粘り強い人”とはどんな風でも受けとめる柳のように、
気にいらない人であっても、愚痴や文句をいわずに受けいれる。
そして、与えられた本来の使命に向かって生きる人をいうのでしょう。

早川徳次は、楽天家で忘れっぽい、と自身で述べていますが、
企業存続の裏側には、経営者の堪忍があることを忘れてはならない。
徳次は晩年「事業の第一目的は社会への奉仕」として本来の使命に気づき、
目の不自由な人が働く工場や、身障者の子供などを預かる保育所を開設しました。

科学と技術が発達し、どれほど便利な世の中になっても、
人間が生きている限り「苦」がついてまわります。
「苦」と「楽」とは背中合わせの関係であり、
苦難を乗り越えてこそ、生きる楽しみに出会えるもの。
~ 楽は苦の種 苦は楽の種と知るべし ~(水戸黄門)

“相手を許さない心”は対立を生み、派閥に発展し、争いになります。
シャープ破綻の原因が経営陣の内部抗争にあるのは残念でならない。
企業が衰退するのは外部ではなく、悉く社内に原因があり、
それは、社員一人ひとりの心の中に源流があるのです。

経済の大混乱、テロや戦争にいつ巻き込まれるかわかりません。
「原爆を落とした米国に対し、日本はいつ報復するのか」
一部の欧米の指導者はこんな憂慮をしているという。
自然災害は逆らえないが、戦争破壊は防げます。
永遠の平和国家であることを願うばかりです。

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