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バイマンスリーワーズBimonthly Words

虫の目 鳥の目 魚の目

2004年05月

数年前に産業用部品メーカーA社の工場長から聞いた話。
「当社の製品は耐久性、精度の面で競争相手に勝てません。下請け協力業者から納入される部品の不良率は2%もあります。社長はコストダウン優先で業者を育てる姿勢がありません。今は出荷までに発見して水際で止めていますが、このままではいつか大きな問題が起こりますよ。」
一つひとつ製品の出来栄えをチェックし、不良品を一切出さない立派な仕事振りの工場長でした。社長を批判する姿勢には問題がありますが、これも会社を愛するが上での発言なのでしょう。
いずれにせよ、品質を高めるための根本策は打たれませんでした。

後日、A社の社長から聞いた話。
「幹部は経営を分かっていませんね。うちは6ヶ月連続で赤字ですよ。もちろん品質には問題がありますから管理は徹底します。しかし、これは工場長が解決すべき問題であり、売上が伸びない今は、コストダウンで利益を捻出しないと、ボーナスが出ないばかりか人員削減もしなければならないことを分かっているのでしょうか。幹部連中に全く危機感がないことが最大の問題ですよ。」
なるほど…。根本策が実行されないのにはこんな事情があったのです。
工場長が言われることは納得できました。が、優先課題は何か?となると社長のとらえ方が一枚上になるでしょう。

数年後に、A社の社長にお会いした時の話。
「その後、大口の得意先が中国生産に比重を移したので仕事がピーク時の半分に減りました…。あわてて新規得意先の開拓に廻りましたが、コスト面で割が合わず苦戦しています。中国モノの品質レベルはまだまだ低いのに、大手のやることは理解できません。」
工場長が心配していた品質上の事故は起こりませんでしたが、A社は過去の蓄積でなんとか持ちこたえているのが実態で、将来の展望はまったく立たない状況でした。
あなたはこの会社の例をどのように感じられるでしょうか。

信用を得るには何十年の努力、信用を落とすにはただ一度で足りる

まず工場長の言う品質問題について考えてみましょう。

メーカーに限らずあらゆる企業は、そこに顧客が求める商品やサービスがあるから存在しています。その商品やサービスの質が低下すると当然ながら顧客は離れます。経営者はこのことにいつも腐心しているのです。

私共の地元京都で公共工事を中心とした建設業をされているK社があります。

40年ほど前に桂川の災害復旧工事を請け負った時の話。工事は順調に進み、終盤にさしかかったころに現場視察にやってきた当時の社長の目は鋭いものでした。コンクリートの混合具合い、砂の質に触れてみて工事内容に不良があることを発見したのです。社長はその場で、大勢いた石積工に仕事を中止させ、現場主任に対してこう言い聞かせました。

「作業所長や現場の主任は社長の代行をして、監督しておるのだ。このコンクリートを使用して良い工事が仕上がると思うか。幾等かかってもやり直しせい。人が信用を得るためには何十年の努力が要る。信用を落とすのはただ一度で足りるのだ。一度落とした信用を回復するためには過去の積み上げた努力の何層倍働いても取り返しができないのだ。君はこの社長の顔に泥を塗る気か!」

この話はその後一冊の本にされて読み伝えられました。品質重視、信用第一の精神がその後もずっと社員の心の中に染み込み、もちろん今も立派に堅実な経営を続けておられます。

私はこの話を後継者の方から聞いて強く感銘を受け、その後の経営観の指針となりました。品質を落としてまで事業を続ける意味があるのか、そこまで追い込まれたらやめよう、と考えるようになったのです。

最近、安全性の不備から起こる事故が頻発しています。大型トラックのタイヤ脱落事故、六本木ヒルズの回転ドア事故、子供が大けがをした遊具の事故などが後を絶ちません。

これらに共通することは、事故に対する経営者の姿勢にスポットがあたっていることです。特に、京都での鳥インフルエンザ感染の一件は、当初は「事故」による被害者であったのが、隠したために経営者が逮捕される「事件」となったことに注目すべきです。

こんなニュースを聞くたびに、何よりも信用を優先したK社の社長のことを思い出すのです。

経営の神様も人間である

ところが現実問題としていかがでしょう。

すべての経営者がこの建設会社の社長のように判断できればいいのですが、高度な品質を保つには多大なコストと人的エネルギー、時には存続を危ぶまれる赤字を背負うことになります。ですから、この例は稀な部類に入るのかもしれません。

あなたは品質維持に損得問題が大きくからんだ場合、理想的な判断ができるでしょうか。冒頭のA社の社長は、品質維持よりもコストダウンを優先しましたが、あなたならどちらを優先させるでしょうか。

松下電器の創業時代に納入予定のソケットに不良があることが分かりました。運悪く資金繰りが苦しい時でこの製品を販売して代金が入らなければ倒産することが分かっていた幸之助社長は、迷ったあげく祈る気持ちで納品したといいます。経営の神様でもこのような人間臭い判断をするのです。

私達はどのような判断基準をもてばいいのでしょう。

このような言葉があります。

~ 人の上に立ったなら、虫の目、鳥の目、魚(さかな)の目、を併せ持てばよい ~

「虫の目」は近いところで、複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目のこと。「鳥の目」は虫では見えない広い範囲を、高いところから俯瞰する目のこと。そして「魚の目」とは水の流れや潮の満ち干を、つまり世の中の流れを敏感に感じる目のことです。

企業経営に置き換えると、まず経営者が現場に出向いて顧客や商品に直に接して、実態を知るのが「虫の目」。次に全社的な観点から我社はどんな状況に置かれていて、何が最重要な問題なのかを感じるのが「鳥の目」。そして、会社や業界全体がどんな流れの中で、どのようになっているのか。そこで我々はどんな流れに沿って、それはどのタイミングで行うのかを判断するのが「魚の目」だと考えればいいでしょう。

判断は鳥の目で、決断は魚の目ですればよい

虫の目で見たことは実態であり、正しいのです。

ところが、鳥の目で高いところから眺めると、虫の目で見たときよりも優先すべきことが発見されることがあります。ならば虫の目は判断する目ではなく、判断をするための道具であることがわかります。

判断は鳥の目がなければできません。いつも全社的な観点から問題を認識し、虫の目で調べた情報をもとに判断するのです。A社の社長は品質向上の重要性はわかっていたでしょうが、鳥の目でコストダウンが優先されたわけです。

問題はこのあとです。

財務的な危機は乗り越えたようですが、数年後に大口得意先は中国に生産を移し、新規得意先を探しましたが割が合わずに苦しい状態に置かれてしまいました。

このような事態になることは概ね予測しておられたでしょう。が、先手は打ってなかったのです。

A社の問題は、特殊技術を開発するとか、さまざまな分野の得意先をもってリスクを分散させる、といった経営環境に適応するための“決断”がなかったことです。

日常的な“判断”は鳥の目があればできますが、企業の方向性を決定する“決断”には魚の目が必要なのです。A社の社長は魚の目が足りなかったのではないでしょうか。

魚の目を養うには、業界の動向や金融情勢はもちろんのこと、近年では国際的な政治・経済、ひいては人類の歴史や宗教問題まで関心を持っておく必要があります。そして、これらの事象をできるだけ長い時間的空間でとらえる感覚が欲しいのです。

こう考えると何よりも魚の目を養ってくれるのは「経験」であることが分かります。

建設会社K社の社長は、桂川の災害復旧工事の現場に立ったその時、裸一貫で事業を起こし、苦労して信用を築いてきたこと。そして、その際にお世話になった方々を台風災害で亡くしてしまったこと、などが走馬灯のように思い出されたのでしょう。長い時間的空間の中に自分を置いたその刹那、悠然とした川の流れに身をまかせた自然なこころで決断されたのではないでしょうか。

 

めまぐるしく変わる経営環境、どういう縁があったのか自社に集まった人たち。彼らの衆知を集め、的確な判断をし、最善の決断を下さねばならない経営者の仕事とはいかに難しいことか…。

私達が大自然の生き物と同じような素直な心でものごとを見つめることができた時、そこに確かな答えが待っているのかも知れません。

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