バイマンスリーワーズ

本来無一物

政治資金で家族旅行をし、公用車を私的に乗り回す...。
前の都知事はこれで辞職し、地方議員は領収証の改ざんでした。
人間は権力を手にすると自分のことが見えなくなるのか、
古今東西、権力者による公私混同はなくなりません。

経営者の公私混同がもたらす代償も大きい。
優秀な幹部社員はやる気をなくして離れていき、
残るのは会社にしがみつく社員ばかりで業績は低迷。
すると社長の給料も下がり、また会社の金に手を付ける。

P.F.ドラッカーは「企業は公器である」としました。
私企業でも社会の中にある以上、その存在は公器であると。
しかし、多くのオーナー経営者が金融面で個人保証をしており、
「リスクを負っている俺が会社の金を使ってどこが悪い」となり易い。

会社を私物化することはあってはなりません。
が、公私の問題を完全に分離するのは簡単ではない。
本人や家族の病気で公の時間が削られるのは誰にでもあり、
私事の最中に、公事が割り込んでくるのは経営者なら当たり前。

会社とはいったい誰のものなのか...。
株主か、経営者か、はたまた社員のものなのか。
いや、公器というなら顧客のものと考えていいかもしれない。
オーナー経営者が、会社を自分のものと考えてはいけないのか...。


独占するのは みみっちい


大分県佐伯市にある糀(こうじ)専門店「糀屋本店」の代表 浅利妙峰(あさりみょうほう)さん。
魔法の調味料と呼ばれる「塩糀(しおこうじ)」のブームを作った仕掛け人です。
自然な甘みの「甘糀(あまこうじ)」や、かくし味として使う「だし糀」など、
糀を使った製品の研究開発を続け、糀文化の普及と伝承に心血を注ぐ。

糀は日本の食文化に欠かせない原料でしたが、
味噌や醤油を家庭で造らなくなり、糀屋は存続の危機に。
創業三百余年の九代目となった浅利さんの店も廃業寸前でしたが、
発酵調味料 塩糀 の開発に成功し、かつての活気を取り戻します。

塩糀が全国ブームになり始めた頃の話です。
「商標登録をして独占販売した方がいい」と勧める人がいた。
ところが、商売人なら当たり前のようなこの話には乗らず、
苦労した塩麹の黄金比率や使い方を、惜しげもなく公開したのです。

「私はたまたま見つけただけで、塩糀は私のものではない。
それを『私のもの』と独占するのは みみっちい」

そして、浅利さんは全国の同業者に足を運び、
これからの「糀屋」のあり方を共に考えようとしている。
店先で料理講習会を無料で開いたり、客を呼ぶ工夫を伝えたり、
何よりも自信を失った仲間が前向きになれるよう、共に考え、励ます。

世のため人のためと、口では言うが実行は難しい。
多くの人が、自分の生きていくのが精一杯の世の中です。
ところが、まだ危機から脱してないのに自分以外を優先させる...。
どうやったらそんな心境になれるのでしょうか。


「私のものだ」は孤立する


~ 本来 無一物(ほんらいむいちもつ) ~
中国禅宗の第六祖になった慧能禅師(えのうぜんじ)の言葉です。
人間は裸で生まれ、裸で死んでいく...。
何一つ持ってこないで生まれ、何も持たずに死んでいく。
人間これさえ胸にしまっておけば、何があっても恐れることはない。

本来無一物 には心が安らぐこんな詩が加わります。
~ 無一物中 無尽蔵 花あり月あり楼台あり ~
自分のすべてを投げ捨てると、花も月も立派な建物も、
この世のすべてが自分の命とつながって、無尽蔵に現れる。

人間は本来、何も持たずに生まれてきたわけであり、
「この商品は私のものだ」と主張すると、業界全体を敵にする。
「この会社は私のものだ」と言うと、人は愛想をつかして離れていく。
このように「これは本来 私のもの」という執着心は、人を孤立させていく。

人は助け合いで生きています。
助け合う仕組みとして社会を作って生きている。
それは家族という小さな社会から、地域や業界の社会があり、
国家や世界では国際社会を作って、助け合いながら生きています。

浅利さんは"一人勝ちに未来はない"と言い切る。
「ブームが来て『自分たちさえ良ければいい』なのか。
ガーンと大きく一人勝ちをしても、いずれストンと落ちるから、
じわじわ、ゆっくり、みんなと一緒に階段をのぼっていけば長くいく。
そういうものが日本伝統のものなのかな、という気もするしね」

一人勝ちの戦略には、すべて自分のものにしたいという魂胆が見える。
一方、浅利さんの戦略は闘争心を失っているようにも見えますが、
しっかと地に足をつけ遠い先を見つめる神々しさを感じます。
日本的経営には、共存共栄の精神が不可欠であり、
その奥底には「本来 無一物」の思想があったのです。


公と私は 表裏一体


私は小さな食堂を営む両親の家で育ちました。
早朝から夜遅くまで、働き詰めの父と母でしたが、
父は仕事の合間に野球をし、鉄棒や絵画も教えてくれた。
個人商店らしい、公私の境目のない混然一体とした生活でした。

店ではお客さんにギターを教わり、遊園地にも連れてもらいました。
公私混同というより、お客さんと私たち家族は一体でした。
そんな環境を作った父は、金儲けはうまくなかったけれど、
決して自分の利益を追わず、他人を優先させる人でした。

公と私はもともと混乱しやすいものです。
公を自分のものだと勘違いすると、公私は混同し、
誰のものでもないと思うと、公私は一体になるでしょう。

公と私 は表裏一体の関係にあります。
会社と個人は、会社が 公で、個人が 私。
業界と会社なら、業界が 公で、会社が 私。
世間と業界になると、世間が 公で、業界が 私。
つまり、私は 公であり、公は 私になるわけです。

浅利さんは自ら"こうじ屋ウーマン"と名乗り、
世界平和を本気で考えている、すごいパワーの持ち主です。

「糀の力で世界中の人のおなかを元気にして、
幸せにしたいという気持ちがあります。
戦争など争いで世界が平和になることはないけど、
食べ物が美味しくてみんなが笑顔になれば、きっと争いも消えていく」


国家の最高権力者による公私混同などあってはならないが、
首相夫人の活動や、国有地の売却問題で公私が混乱しています。
そんな首相の政治使命である「憲法改正」に向けて準備が進んでいる。
北朝鮮や中東の情勢が一触即発の緊張状態に突入しましたが、
決して自ら戦争をしかけるような国になってはならない。


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[2017.5]

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